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飯櫃城(千葉県芝山町) [古城めぐり(千葉)]

IMG_3419.JPG←主郭の空堀跡
 飯櫃城は、上総国山辺郡の国人領主山室氏の戦国期の居城である。山室氏は山室城を居城として勢力を養ったが、1532年に山室飛騨守常隆が新たに飯櫃城を築いて本拠を移した。山室氏は、上総から下総まで跨がる62城の族頭として大きな勢力を有し(現地の石碑の記述)、戦国後期になると小田原北条氏に属した。1590年の小田原の役の際、房総諸城は徳川方の軍勢によって攻略されたが、北条氏滅亡後の同年12月に、山室常陸介光勝は一門の将士を飯櫃城に集めて徹底抗戦し、徳川方の派遣した保科弾正正光率いる大軍と3日間の激戦の末、城兵800余騎が討死して落城したと言う。この戦いは、在地豪族が北条氏滅亡後の処遇に不満を爆発させて蜂起した反乱であったとの説も提示されている。

 飯櫃城は、高谷川西岸の比高30m程の台地上に築かれた城である。南東端に主郭を置き、ニノ郭・三ノ郭を梯郭式に配置した縄張りとなっている。曲輪はいずれも広く、居住性に優れると同時にまとまった兵を収容可能な拠点城郭であったことがわかる。主郭・ニノ郭とも、外周を空堀で防御しているが、曲輪は全て畑に変貌し、堀も畑や山林と化してしまっている。しかしその形状は明瞭で、主郭背後には櫓台が残っているのも確認できる。横矢の掛かった空堀も、往時はかなりの規模と深さであったことが容易に想像できる。三ノ郭背後の台地基部は大堀切で分断され、三ノ郭北辺のヤブの中には横堀の遺構も残っている。この他、畑や山林となっているが、腰曲輪らしい平場も随所に散見され、城域北東端の高野神社の部分も、腰曲輪や堀切・櫓台であったと思われる。尚、城の入口には遺臣の末裔が建てた城址碑があり、畑に変貌しつつも大切に守られている城であることが伝わってくる。
三ノ郭北側の横堀→IMG_3478.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.729225/140.421499/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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