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並木城(千葉県多古町) [古城めぐり(千葉)]

IMG_4136.JPG←主郭の空堀と土塁
 並木城は、下総の名族千葉氏の家臣飯田三左衛門の城と伝えられているが詳細は不明。並木城の周辺一帯は、南北朝時代に「千田庄動乱」の舞台となった。その経緯については土橋城の項に記載する。この抗争の中で、千葉侍所竹元氏が土橋城を攻め落とした際、並木城も落城したと伝えられている。この土橋城合戦は、1336年にあったという説と、1340年にあったという説がある様だ。その後の並木城の歴史は不明である。

 並木城は、栗山川とその支流借当川の合流点近くに半島状に突き出した、比高30m程の丘陵上に築かれた城である。丘陵南西端に方形の主郭を置き、その北と東の周囲に土塁と空堀を築いて防御を固めている。特に北側の空堀は二重空堀となり、北東角には隅櫓台を築いている。大手虎口は、現在畑となった主郭に通じる小道であったろうか。一方、主郭の南東隅に窪んだ内枡形形状の搦手虎口が築かれている。主郭の西側斜面には腰曲輪が築かれ、数ヶ所竪堀が穿たれている。主郭の周囲は広大な外郭(ニノ郭)で、全面耕地化されているので往時の形状はよくわからない。外郭北端部の山林内には僅かな堀跡と土壇が見られるが、あまり普請は明確でなく、遺構かどうか確証は持てなかった。並木城は、その遺構から考えれば室町後期~戦国前期頃までは使用されていた様だが、戦国後期には既にその重要性は失われていたと見られる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.728638/140.485310/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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