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蓮台寺城(石川県小松市) [古城めぐり(石川)]

IMG_3878.JPG←主郭跡
 蓮台寺城は、加賀守護富樫氏の内訌の舞台となった城であり、また加賀一向一揆の誕生の地となった城である。応仁の乱が勃発すると南加賀の半国守護富樫政親は、細川勝元方の東軍に与した。しかし北加賀の半国守護となっていた赤松政則も東軍方で、赤松氏の支配に抵抗する富樫氏家臣団は、政親の弟幸千代を擁して西軍に属し、ここに富樫氏の家督を巡って政親と弟幸千代との争いが発生した。幸千代は浄土真宗高田派を支援していたため、劣勢であった政親は浄土真宗本願寺派の蓮如に支援を求め、蓮如は仏敵である高田派を一掃するため、富樫氏の内訌に武力介入する決断をした。1474年、本願寺派門徒を味方に付けた政親は、山川・本折・槻橋ら加賀の武士団の支持を得て、幸千代の立て籠もる蓮台寺城を攻囲した。数ヶ月に及ぶ攻防戦の末に蓮台寺城は陥落し、幸千代は虚空蔵山城に逃れて立て籠もった。しかし虚空蔵山城も攻撃を受けて支えきれず、幸千代は越中に亡命したと言う。蓮台寺城の戦いでは本願寺派門徒衆の力が勝因であり、この戦いが加賀一向一揆と称される本願寺派門徒による武装蜂起の始まりとなった。その後、時代は下って1600年、前田利長と丹羽長重が戦った北陸の関ヶ原と言われる浅井畷の戦いの際、長重方の武将江口三郎右衛門は蓮台寺城跡に陣を構え、前田軍を追撃しようとしたと言う。

 蓮台寺城は、蓮代寺町の南方の比高40m程の丘陵先端部に築かれている。但し、地元の有志が城跡として整備しているだけで、実際にここが蓮台寺城であったのかどうかは、公式には認められていないらしい。国道8号線のガード下をくぐって南側にある民家の脇から登道がある。登っていくと、堀切跡と思われる切り通しがあり、その左手に登っていくと主郭に至る。途中、曲輪状の平場や堀切の様な窪地も見られる。山頂の主郭には穴蔵跡があり、現地解説板では往時の遺構のような微妙な書き方をしているが、実際は近世の改変ではないかと思う。そのせいもあって、主郭の削平は甘くデコボコしている。主郭の北東尾根を下っていくと、ここにも曲輪状の平場が数段見受けられる。遺構としては以上で、一応城郭遺構らしいものは見られるが、一時的な陣城レベルのもので、長期籠城戦に耐えられるような城ではない。それとも追い詰められて急遽籠城したものであろうか。今後の考究に待つところが多い城である。
堀切状の窪地→IMG_3879.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.370243/136.467361/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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