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泉城(栃木県矢板市) [古城めぐり(栃木)]

IMG_3982.JPG←本丸北西の腰曲輪の櫓台
 泉城は、1591年に岡本讃岐守正親が築いた城である。正親は元々川崎城主塩谷義綱の家臣で、1590年の豊臣秀吉による小田原の役の際、義綱の名代として小田原に参陣した。秀吉は、当主の義綱が参陣しなかったことから塩谷氏を改易にし、一方で参陣した正親に賞として塩谷氏の遺領の一部、泉15郷を与えた。この時、正親は泉城を新たに築いて、松ヶ嶺城から居城を移したと伝えられる。その後、岡本氏の居城として続くが、岡本氏は1644年に一族の内紛で改易となり、泉城は廃城となった。

 泉城は、内川東岸の比高30m程の南北に長い丘陵上に築かれている。丘陵中央に大切岸で囲まれた南北に長い大型の本丸を置き、南に削平の甘い二ノ丸を配置している。本丸の東西の斜面には何段かの腰曲輪群を築き、本丸北側の緩斜面にも曲輪群を配置している。本丸のすぐ北には浅い空堀を挟んで、北面を土塁で囲んだ半月型の腰曲輪が築かれている。また本丸の北西には横堀を挟んで外周の腰曲輪が築かれている。その北端部は櫓台となって周囲を睥睨し、その北に伸びる高台には二重堀切を穿って防御している。この他、本丸南西には竪堀が長く落ち、南東にも堀底道を兼ねたと思われる横堀が見られる。但し、近年まで城内で椎茸栽培がされていたとのことで、改変された部分もあると思われる。
 以上が泉城の縄張りであるが、全体に薮が多くて遺構が見辛いのが難である。本丸はバンブー地獄、二ノ丸・腰曲輪は草木の薮で、北斜面の遺構群だけが比較的見やすい。
本丸西側の横堀→IMG_4010.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.840872/139.919740/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


栃木県の歴史散歩

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タグ:近世平山城
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