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松ヶ嶺城(栃木県矢板市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN5595.JPG←主郭後部の土塁
 松ヶ嶺城は、川崎城主塩谷氏の家臣岡本氏の居城である。築城には2説あり、塩谷氏20代孝綱が永正年間(1504~21年)に築いたとも、或いは孝綱が宇都宮氏から塩谷氏に入嗣した際に付家老として来た岡本重親が築いたとも言われる。いずれにしても岡本氏の居城となったが、城の東を流れる中川が城下町の松小屋に氾濫を繰り返したため、1597年に岡本讃岐守正親は泉城に居城を移し、松ヶ嶺城は廃城となった。

 松ヶ嶺城は、中川の西岸にそびえる比高40m程の丘陵上に築かれている。城へのアクセスは天然の外堀である中川がネックになるが、冬場の渇水期であれば川の水量が少ないので、川底に敷かれたコンクリートブロックを伝って渡渉し、山林に分け入った。城は、山頂の方形に近い主郭を中心に、北東・東・南の三方に舌状曲輪を配し、更にそれらの曲輪の周囲に腰曲輪を築き、曲輪間の谷間にも何段かの平場群を築いている。主郭は背後に当たる西辺に土塁を築き、その外側は堀切を穿って西尾根を分断している。主郭東側には幅の広い坂虎口が築かれ、東の二ノ郭に通じている。主郭の北東が三ノ郭で、北西辺に低土塁を築き、先端に堀切・土塁を築いている。その先は自然地形に近い幅広の尾根が続き、その先端部は北の谷に向かって細尾根となっており、往時の城道があったかもしれない。一方、主郭の南には3段に分かれた四ノ郭群がある。以上が、城の主要部であるが、西尾根にも南北の斜面に帯曲輪らしい平場がある他、城から谷を挟んだ北側の丘陵地にも、数段の帯曲輪状の平場が構築されている。これらも外郭であったと思われる。
 松ヶ嶺城は遺構はよく残っているが、戦国末期まで存続した城にしては縄張り面の技巧性はあまりなく、比較的平易な城である。中川による防衛線が強固であったため、あまり城自体の強化は必要なかったのかもしれない。
腰曲輪から見た四ノ郭→DSCN5657.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.830035/139.907016/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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