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小山家城(山形県天童市) [古城めぐり(山形)]

IMG_5109.JPG←わずかに残る腰曲輪と切岸
 小山家城は、山家城主山家氏の一族、小山家師時が築いた城と伝えられる。師時は、山家師兼の弟で、山形城主最上義光によって、1583~4年頃に700石の所領でこの地に封じられたと言う。それは、庄内攻略の戦功によるものとも、或いは天童城落城後に不穏な動きのあった北部の土豪達に備えるためであったとも言われる。いずれにしても、20年程にわたってこの地を支配したが、師時の夫人は秋田増田城主土肥道近の姉であった縁で、1603年に増田に移住して帰農したと伝えられる。

 小山家城は、比高30m程の丘陵上に築かれている。この丘陵は、大半が果樹園に変貌しており、遺構はわずかしか残っていない。一応、果樹園内にも段々になった平場が見られるが、切岸と言うほど明瞭に区画されておらず、かなり改変されてしまっているように見受けられる。主郭があったと思われる頂部も、形状がはっきりしない。『山形県中世城館跡調査報告書』には、「13~14段の帯曲輪が配され、北側に空壕がのこっている」とされるが、これもはっきりしない。唯一明確なのは主郭北側の山林内で、腰曲輪らしい平場と切岸らしい地形が残っている。この他、南麓の山元沼は水濠跡だったと言うが、これも大きく地形が改変されていると思われる。南麓の車道脇には立派な城址石碑と解説板が立っているが、遺構はかなり残念な状況である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.369706/140.396057/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


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