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境林城(栃木県矢板市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN5195.JPG←大空堀
 境林城は、滝原台大溝とも呼ばれ、謎の城郭遺構である。塩谷氏の居城川崎城南方を守る出城であったと推測されている。築城時期も不明で、1559年に結城晴朝が川崎城を攻撃した際に築いたとする説、1566年に叔父喜連川塩谷孝信に父塩谷由綱を殺され、川崎城を奪われた塩谷義綱が、長期間川崎城を包囲して奪還した際に本陣として築いたとする説が提示されている。城の管理は一帯の領主大沢氏が任され、1595年に川崎城と共に廃城になったと考えられている。

 境林城は、近年各地で注目されている、城として完結した縄張りを持たない、中途半端な遺構を持つ異形の城である。川崎城の南東1.8kmに位置し、標高225m、比高50mの独立丘陵の北半に築かれている。城の南東に畑地があり、その奥の小道を少し進めば大空堀に行き当たる。大きな空堀遺構で、北西に伸びる丘陵地の背後を分断するように穿たれている。1/25000国土地理院地形図の225.3mの三角点は、この空堀外周の台地上にある。大空堀は、南端部で弧を描いて丘陵南側に回り込み、その先で塁線がほぼ直角に折れて張り出している。張出し部の先では腰曲輪となっている様で、台地の南側に明確な切岸で区画され、延々と腰曲輪状の平場が北西に伸びている。しかし先端に行くに従い、切岸が不明瞭となり、台地と一体化してしまう。これらの空堀・腰曲輪で守られた台地は、広大な平場が広がっているだけで、空堀部の内側に一部土塁が見られるものの、他は明確な普請の跡は見られない。非常に謎の多い遺構である。
切岸と腰曲輪→DSCN5176.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.775622/139.933602/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世平山城
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