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内山城(富山県黒部市) [古城めぐり(富山)]

DSCN6945.JPG←主郭南の堀切
(2020年11月訪城)
 内山城は、現地標識では内山砦と表記され、南北朝期に元越中守護普門俊清が立て籠もった城である。俊清は、建武の新政期に越中守護に補任され、足利尊氏が建武政権から離反すると足利方に付いて、宮方の越中国司中院定清を能登石動山に攻め滅ぼしたことが『太平記』第14巻に見える。その後、室町幕府が成立するとあらためて越中守護に任じられたが、1344年に東大寺領の荘園押領等によって守護を罷免されたことから幕府に背き、幕府から追討されることとなった。1347年、幕府は桃井直常・能登守護吉見氏頼らに俊清を討伐させ、俊清の籠もる松倉城を攻撃し、1348年10月に松倉城を攻め落とした。俊清は逃れて、内山城に立て籠った。得田素章らはこれを追って内山城を攻撃したことが、得田素章軍忠状に見える。その後の内山城の歴史は不明である。

 内山城は、黒部川西岸の山上にあり、北に突出した尾根の中ほどに築かれている。高圧鉄塔の建っている山なので、西麓から「愛本 3」と書かれた鉄塔保守道を使って登ることができる。小規模な城砦で、山頂に長円形の主郭を置き、その南北に堀切を穿ち、主郭東には横堀、西斜面には数段の腰曲輪群を築いている。主郭には高圧鉄塔が建っており、北側に段曲輪を築いている。主郭の塁線の一部と、西の腰曲輪群には川原石を積んだ石積みが残っている。この石積みは『日本城郭大系』では遺構としているが、後世の耕地化による可能性もあると思われ、遺構とは断定できないように思う。一応、登道があり、「内山砦→」という誘導標識もあり、以前は整備されていた痕跡が残るが、現在は薮に覆われている。主郭北の堀切の北側にも曲輪があった可能性があるが、薮で確認が困難である。主郭南の堀切の南側には高圧鉄塔の建つ平場があり、外郭であった可能性があるが、判然としない。追い詰められた普門俊清が逃げ込んだ城なので、それほど大きな城ではなかったのだろう。
主郭塁線の石積み→DSCN6950.JPG
DSCN6961.JPG←主郭東側の横堀
西斜面の腰曲輪群→DSCN6981.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.856978/137.551650/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


越中中世城郭図面集 2(東部編(下新川郡・黒部市・

越中中世城郭図面集 2(東部編(下新川郡・黒部市・

  • 作者: 佐伯哲也
  • 出版社/メーカー: 桂書房
  • 発売日: 2012/05/01
  • メディア: 単行本


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