中畑城(岩手県奥州市) [古城めぐり(岩手)]
←主郭西側の土塁と堀跡
中畑城は、樫山館とも言い、葛西氏の重臣柏山氏一族が築いた城である。城主は、柏山一族の平友常とも、樫山彦三郎とも言われるが詳細は不明である。
中畑城は、北上川西方の平地に築かれている。現在は主郭だけがわずかな高台となって残っている。主郭内は畑となり、塁線も一部改変されているが、西側には土塁と堀跡の水田が明瞭に残っている。主郭以外の曲輪は、宅地化や耕地化で往時の形状はわからなくなってしまっているが、昭和20年代前半の航空写真を見ると、主郭の北・西・南の三方を囲む二ノ郭があり、更にその南に三ノ郭を置いていたようにも見える。実際どの様な縄張りだったのかは現在ではわからないが、平地の城にしては、主郭がはっきりわかる程度に遺構が残っているだけでも、奇跡的であろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.079599/141.144984/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
中畑城は、樫山館とも言い、葛西氏の重臣柏山氏一族が築いた城である。城主は、柏山一族の平友常とも、樫山彦三郎とも言われるが詳細は不明である。
中畑城は、北上川西方の平地に築かれている。現在は主郭だけがわずかな高台となって残っている。主郭内は畑となり、塁線も一部改変されているが、西側には土塁と堀跡の水田が明瞭に残っている。主郭以外の曲輪は、宅地化や耕地化で往時の形状はわからなくなってしまっているが、昭和20年代前半の航空写真を見ると、主郭の北・西・南の三方を囲む二ノ郭があり、更にその南に三ノ郭を置いていたようにも見える。実際どの様な縄張りだったのかは現在ではわからないが、平地の城にしては、主郭がはっきりわかる程度に遺構が残っているだけでも、奇跡的であろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.079599/141.144984/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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