飯豊城(岩手県北上市) [古城めぐり(岩手)]
←城址碑の立つ土塁跡
飯豊城は、和賀氏の支城である。室町中期には、和賀小次郎義篤が飯豊城を守っていた。1435年、和賀惣領家と一族の須々孫氏との確執が他の一族家臣を巻き込んだ大規模な内訌「和賀の大乱」に発展すると、黒沢尻氏らは須々孫方に付いて稗貫出羽守を頼り、義篤の拠る飯豊城を陥落させたと言う。
飯豊城は、飯豊川と宇南川に挟まれた平地に築かれている。城跡は宅地化が進んで明確な遺構はほとんど湮滅しており、どこが城の中心であったかもよくわからなくなっている。わずかに市道沿いに土塁が残り、その上に飯豊館跡と刻まれた石碑が建てられているだけである。しかしこのわずかに残る土塁も、城のどの部分に当たるのかさっぱりわからない。尚、付近には中館の地名が残っている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.347681/141.086125/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
飯豊城は、和賀氏の支城である。室町中期には、和賀小次郎義篤が飯豊城を守っていた。1435年、和賀惣領家と一族の須々孫氏との確執が他の一族家臣を巻き込んだ大規模な内訌「和賀の大乱」に発展すると、黒沢尻氏らは須々孫方に付いて稗貫出羽守を頼り、義篤の拠る飯豊城を陥落させたと言う。
飯豊城は、飯豊川と宇南川に挟まれた平地に築かれている。城跡は宅地化が進んで明確な遺構はほとんど湮滅しており、どこが城の中心であったかもよくわからなくなっている。わずかに市道沿いに土塁が残り、その上に飯豊館跡と刻まれた石碑が建てられているだけである。しかしこのわずかに残る土塁も、城のどの部分に当たるのかさっぱりわからない。尚、付近には中館の地名が残っている。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.347681/141.086125/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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