SSブログ

兎城(長野県飯田市) [古城めぐり(長野)]

DSCN5614.JPG←主郭の大土塁
 兎城(とじょう)は、この地の豪族知久氏の居城神之峰城の出城として15世紀後半に築かれた城である。城主は桃井氏であったが、武田氏によって滅ぼされるとそのまま廃城となったと言う。また現地解説板によれば、「謀反の心ありとの告げ口により、一夜に取り囲まれ一族40余名が斬首された」との伝承や、「西の久米ヶ城に対して東城と呼ばれていたのが、いつしか兎城となった」との伝承があるらしい。

 兎城は、天竜川と鼬(いたち)ヶ沢川の合流点に南から突き出た段丘先端部に築かれている。南北に曲輪を連ねた連郭式の縄張りとなっている。現在公園化されているので、一部改変や湮滅が見られるが、遺構は概ねよく残っている。南の公園入口にあるのが三ノ郭で、ただの空き地であるが外周に切岸が残っている。但し、三ノ郭付近は後世の改変がある可能性が高い。三ノ郭の北には、かなり埋まっているものの堀切跡が残り、「外濠跡」という石碑が立っている。わずかに土塁も残っている。その北が二ノ郭で、空き地と畑になっている。北辺に低土塁があり、そこに神社の祠と石碑が立っている。二ノ郭の北には一段腰曲輪があり、その北に大きな堀切が穿たれている。堀切の東には物見台状の土壇があり、祠が祀られている。大堀切の北が主郭で、公園となっているが、大堀切沿いに大土塁が築かれている。主郭は長方形の曲輪で、北辺にも低土塁が築かれている。その北の切岸下方に四ノ郭がある。四ノ郭の東西の斜面には竪堀が落ちている。おそらく主郭に通じる動線制約の為であろう。この他、二ノ郭の西側に帯曲輪群が数段確認できる。一方、主郭・二ノ郭・三ノ郭の東側は目隠し壁が立っていて、遺構がよくわからない。東下は廃棄物の最終処分場らしいのだが、訪城当日は地元のどんど焼きをやっていて、人が集まっている最中だったので、立入りを遠慮したため、東側の切岸は確認できなかった。兎城は大きな城ではないが、それにしては不釣り合いなほど主郭の土塁と堀切の規模が大きく、見応えがある。
二ノ郭~三ノ郭間の堀切跡→DSCN5590.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.463894/137.837123/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


信濃の山城と館〈第6巻〉諏訪・下伊那編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

信濃の山城と館〈第6巻〉諏訪・下伊那編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2013/08/01
  • メディア: 単行本


タグ:中世崖端城
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント