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下郷要害古城(栃木県那珂川町) [古城めぐり(栃木)]

DSCN7569.JPG←主郭の尾根の曲輪群
 下郷要害古城は、武茂氏の庶流大山田氏が築いた城とされる。その仔細は下郷要害城の項に記載する。『栃木県の中世城館跡』によれば、下郷要害城は深い谷を挟んだ南北2ヶ所に遺構があると言う。一方、お城巡りの先達余湖さんのHPによれば、北の城を「新地の城」、南の城を「古城」と呼んでいるとのことで、ここでは余湖さんの記載に倣って、北の城を下郷要害城、南の城を下郷要害古城とし、本項では下郷要害古城について述べる。

 下郷要害古城は、前述の通り下郷要害城から深い谷を挟んだ南の山稜上に築かれている。武茂川の東の山稜であるが、直接武茂川に臨む尾根上には出城を配し、古城自体はそれより一つ東に奥まった尾根に築かれている。城へは、南麓の市道(馬頭ゴルフクラブの北側を通る道)脇から谷筋を登る作業林道が切り開かれており、これを登っていけば城跡まで達する。この林道は城内まで入っているので遺構は破壊を受けているが、おおよその遺構は確認できる。また城域内の木が皆伐されており、2022年2月時点では全く薮がない状態だったので、細尾根の段郭群がよく分かる状況だった。遺構は、北に向かってU字型に張り出した2つの細尾根に曲輪群を段々に配し、その2つの尾根の間の広い谷地形にも段々に平場群を置いている。2つの尾根の内、東の尾根の最上段が主郭と考えられ、祠が祀られている。その前面に2~3段の段曲輪が築かれ、小堀切も穿たれている。細尾根先端の下方にも腰曲輪が見られる。一方、U字尾根の後部の最高所には櫓台らしい土壇があり、背後に堀切が穿たれている。但し、林道が貫通して破壊を受けている。その少し南にも土壇が残っているが、かなり削られており、往時の形状がよくわからなくなっている。尾根の間の平場群は、かなり破壊を受けていて、これも往時の形状がわかりにくくなっている。下郷要害城とは縄張り上の共通点が多く、どちらの方が防備が厳重という感じでもないので、下郷要害城と下郷要害古城とが並立して機能していたのではないかと推測される。
西尾根の曲輪群→DSCN7581.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.785049/140.222089/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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