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下釜口烽火台(山梨県山梨市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN7639.JPG←腰曲輪の石積み
 下釜口烽火台は、甲斐武田氏が甲斐国内に配置した烽火台網の一つで、武蔵との国境を繋ぐ雁坂道(秩父往還)沿いに築かれ、雁坂峠方面の異変を伝達する役目を負っていた。武田氏の家臣でこの地の豪族荻原豊前守が守備していたと言う。荻原氏は、甲斐守護武田信昌の後裔と言われる。豊前守の父荻原常陸介は、武田信虎が幼少の時に弓矢を指南したと言われ、1521年の飯田河原合戦の際には片山の上に疑兵を飾って勝利に貢献したと言う。武田信玄の重臣飯富兵部の伯母婿でもあったらしい。

 下釜口烽火台は、上荻原集落の西にある標高760mの城山に築かれている。烽火台は城山公園として整備されており、以前は南東麓のスポーツ広場から螺旋階段を通る登道が整備されていた様だが、現在は螺旋階段は立入禁止となっており、その上の斜面も崩れたものを修復したらしく、シートが貼られて道が途絶している。そんなわけでちょっと取り付きが難しいが、斜面を直登していくと、ようやくかつての登道が現れるので、そこを登って行けば良い。烽火台と言われるだけあって小規模な城砦で、山頂に長円形の主郭を置き、その南下方に段曲輪、更に下方に腰曲輪を築いただけの簡素な構造である。主郭の後部には石で囲まれた土壇があり、主郭内には展望台が建てられている。段曲輪には鉄塔が立っているが、曲輪の形状はそのまま残っている様である。その下の腰曲輪には明確な石積みがあり、かなりしっかりと積まれている。この他、主郭背後の尾根には2本のかなり小さな堀切が穿たれている。石積みだけが唯一の見所であるが、貴重な戦国時代の烽火台遺構であろう。。
主郭→DSCN7649.JPG
DSCN7658.JPG←主郭背後の堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.790030/138.737122/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


山梨の古城

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  • 出版社/メーカー: 山梨ふるさと文庫
  • 発売日: 2017/07/01
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