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古城山砦・古城山烽火台(山梨県市川三郷町) [古城めぐり(山梨)]

DSCN7296.JPG←古城山砦の主郭の土塁
 古城山砦・古城山烽火台は、『甲斐国志』によれば、武田氏の家臣跡部蔵人が守備したと伝えられる。また1582年、武田氏滅亡・織田信長横死後に生起した天正壬午の乱の際には、徳川氏の先鋒として市川に駐屯していた大須賀康高の陣営から守兵が出て古城山砦を守備したと言う。

 古城山砦・古城山烽火台は、標高868m、比高600m程の峻険な山上に築かれている。北東麓から登山道が整備されているので、迷うことなく登ることができる。また高い山ではあるが、稜線が長いので、時間は掛かるがゆっくり登ればそれほどきつい山ではない。登り口はいくつかあるようだが、碑林公園脇からの登路がわかりやすいだろう。
 中核となる古城山砦は、登山道からちょっと北に突き出た標高720mの峰に築かれている。登山道が尾根上に出たところに「浅間社 古城山の砦 ←」と書かれたプレートがあり、そのすぐ北側に南端の堀切がある。その先の自然地形を歩いていくと、その先に2つ目の堀切があり、そこから北側に砦の遺構がある。方形の主郭を中心に、北・東・南に腰曲輪を築いている。主郭は高さ2m程の切岸で囲まれ、東と南に土塁を築いている。主郭内には石碑がいくつも建っていて近世には信仰の山となっていたことがわかる。腰曲輪は北東に広く突き出た形で、内部は段差でいくつかの区画に分かれている。この中には天水溜めと思われる池がある。この他、東西の斜面にいくつかの竪堀が穿たれており、このあたりの築城思想は旭山城大野城と同じである。
 古城山烽火台は、古城山砦から更に150m程登った峰にある。東西に並ぶ2つの峰があり、烽火台とされているのは東の峰であるがほとんど自然地形で、西端に烽火台跡の土壇がある。ここからは甲府盆地全域が一望でき、眺望は最高である。一方、『甲斐の山城と館』で烽火台と推測しているのは西のカライシ山という峰で、山頂部に数段の平場群が見られ、普請の形跡が確認できる。
 以上が古城山砦・古城山烽火台の遺構で、砦はしっかりした普請がなされた城砦で、旭山城・大野城よりも曲輪の規模が大きく、それなりの兵数を置いたことがわかる。それにしても、碑林公園からだと烽火台のある最高所まで比高570mもあり、私が登った中で歴代3位タイの高さの城砦であった。
竪堀→DSCN7290.JPG
DSCN7328.JPG←砦の主郭北東の腰曲輪
砦の腰曲輪内の池→DSCN7320.JPG
DSCN7285.JPG←堀切
古城山の烽火台跡→DSCN7371.JPG
DSCN7358.JPG←カライシ山の平場群

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:【古城山砦】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/35.544876/138.508490/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
    【古城山烽火台】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/35.539150/138.510936/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
    【カライシ山】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/35.539691/138.509392/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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