本栖石塁(山梨県富士河口湖町) [古城めぐり(山梨)]
←信玄築石(石塁①)の石積み
本栖石塁は、謎の溶岩石塁である。構築時期は不明だが、本栖城と関係のある遺構と推測されている。一説には武田信玄が中道往還をはじめとする国境防衛のために築いたとも、1582年の天正壬午の乱の際に徳川方によって築かれたともされるが、別説では獣を避ける猪垣や溶岩止めの石塁とする説もある。
本栖石塁は、本栖城のある城山周辺の平地の数ヶ所に散在している。その内代表的なものを踏査した。尚、各石塁には散策路があるのでアクセスは容易である。
まず城山北麓の中道往還脇に築かれた石塁①は、「信玄築石」と呼ばれ、鉤型にクランクした石塁である。クランクしているということは横矢を意識したものでろう。またこの石塁は、東面(駿河側)は普通に積まれているが、西面(甲斐側)は4段のひな壇状に石を積んでいる。これらのことから、この部分は街道防御のために甲斐側の勢力によって築かれたと考えてほぼ間違いないだろう。
次に城山南麓のものを順に見ていく。石塁②は、中道往還の両側を石塁で防御した木戸口が築かれ、南側のものはL字型の石塁となっている。ここも片側だけ4段のひな壇状に石を積んでいるが、ひな壇状になっているのは①と逆で駿河側である。これは少々理解に苦しむ。
石塁③は、石塁で外周を囲んだ方形空間となっている。関所などの建物があったのだろうか?
石塁④は、石塁③の少し西にある。石塁で築いた大型の枡形虎口となっており、何らかの防御構造であることは明瞭である。
石塁⑤は、国道139号線の南の平地にある。私が歩いた限りでは全長470mにも及ぶ一直線状の長塁で、結城長塁や常陸小幡城の外郭線の類例のようにも思える。ただ防御施設としては石塁の厚みが薄く、足で蹴れば簡単に崩れそうな感じである。但し、ここの石塁も1ヶ所だけわずかなクランクがあり、猪垣や溶岩止めと考えるにはちょっと疑問が残る。
結局のところ、明確な見解を出すことはできないが、中道往還の街道防衛のために築かれた施設と考えるのが妥当なように思える。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:【石塁①】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.473104/138.610897/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
【石塁②】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.470343/138.610189/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
【石塁③】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.469644/138.610597/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
【石塁④】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.469452/138.610210/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
【石塁⑤】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.466341/138.609459/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
本栖石塁は、謎の溶岩石塁である。構築時期は不明だが、本栖城と関係のある遺構と推測されている。一説には武田信玄が中道往還をはじめとする国境防衛のために築いたとも、1582年の天正壬午の乱の際に徳川方によって築かれたともされるが、別説では獣を避ける猪垣や溶岩止めの石塁とする説もある。
本栖石塁は、本栖城のある城山周辺の平地の数ヶ所に散在している。その内代表的なものを踏査した。尚、各石塁には散策路があるのでアクセスは容易である。
まず城山北麓の中道往還脇に築かれた石塁①は、「信玄築石」と呼ばれ、鉤型にクランクした石塁である。クランクしているということは横矢を意識したものでろう。またこの石塁は、東面(駿河側)は普通に積まれているが、西面(甲斐側)は4段のひな壇状に石を積んでいる。これらのことから、この部分は街道防御のために甲斐側の勢力によって築かれたと考えてほぼ間違いないだろう。
次に城山南麓のものを順に見ていく。石塁②は、中道往還の両側を石塁で防御した木戸口が築かれ、南側のものはL字型の石塁となっている。ここも片側だけ4段のひな壇状に石を積んでいるが、ひな壇状になっているのは①と逆で駿河側である。これは少々理解に苦しむ。
石塁③は、石塁で外周を囲んだ方形空間となっている。関所などの建物があったのだろうか?
石塁④は、石塁③の少し西にある。石塁で築いた大型の枡形虎口となっており、何らかの防御構造であることは明瞭である。
石塁⑤は、国道139号線の南の平地にある。私が歩いた限りでは全長470mにも及ぶ一直線状の長塁で、結城長塁や常陸小幡城の外郭線の類例のようにも思える。ただ防御施設としては石塁の厚みが薄く、足で蹴れば簡単に崩れそうな感じである。但し、ここの石塁も1ヶ所だけわずかなクランクがあり、猪垣や溶岩止めと考えるにはちょっと疑問が残る。
結局のところ、明確な見解を出すことはできないが、中道往還の街道防衛のために築かれた施設と考えるのが妥当なように思える。
L字型の石塁②→
←方形区画の石塁③枡形虎口の石塁④→
←一直線の石塁⑤石塁⑤のクランク部→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:【石塁①】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.473104/138.610897/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
【石塁②】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.470343/138.610189/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
【石塁③】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.469644/138.610597/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
【石塁④】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.469452/138.610210/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
【石塁⑤】
https://maps.gsi.go.jp/#16/35.466341/138.609459/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1