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豊田館(岩手県奥州市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN5263.JPG←館跡の公園
 豊田館は、亘理権太夫藤原経清とその子清衡の居館である。経清は、平将門を討滅した藤原秀郷の子孫と言われ、多賀城国府の官人で宮城県亘理地方を支配していたが(居館伝承地は中島館)、後に奥六郡を支配する俘囚長安倍頼時の娘婿となり、豊田館に移住した。前九年の役が起きると、経清は最初は朝廷軍の将源頼義・義家父子の麾下に属したが、後に頼時の子貞任に味方して朝廷軍と交戦し、黄海の戦いで朝廷軍を撃破するなど活躍した。しかし頼義が出羽の豪族清原氏を味方につけることに成功し、源氏・清原氏連合の大軍で逆襲に転じると敗退し、貞任らと立て籠もった厨川柵で敗れ、捕えられて斬首された。経清の妻は遺児清衡を連れて敵将清原武貞の後妻となった。清衡は、清原清衡として成長したが、20年後に清原氏の内訌により生起した後三年の役で、源義家を味方につけた清衡が勝ち残り、奥六郡の支配者となった。姓を亡父の藤原に戻し、豊田館に帰って奥羽を治めた。康和年間(1099~1104年)に平泉に本拠を移し、奥州藤原氏の初代となった。

 豊田館は、人首川東方の比高10m程の台地先端部に築かれていたらしい。現在は館跡の中心には変電所があり、南西部が公園となっている。台地となっている以外に明確な遺構はないが、江戸時代から藤原経清・清衡の館跡と伝承され、古い石碑が公園内に立っている。館の南東1km弱のところには、経清一族の墳墓とされる五位塚墳丘群があり、経清にまつわる伝承を色濃く残している土地である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.180136/141.191483/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


奥州藤原氏―平泉の栄華百年 (中公新書)

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  • 作者: 高橋 崇
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2002/01/01
  • メディア: 新書


タグ:居館
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