掻引城(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]
←主郭外周の空堀
掻引城は、葛西氏の家臣で唐梅館主長坂千葉氏(千葉刑部少輔の名が伝わる)の平時の居館であったと考えられている。
掻引城は、唐梅館の南麓1.3kmの位置にある。砂鉄川北岸の段丘上にあり、現在は主郭とその北・西周囲の空堀・帯曲輪が公園化されて残っている。それ以外の周囲は住宅地となっていて、主郭南東の住宅地も曲輪跡かと思ったが、帰ってから昭和20年代前半の航空写真を調べると、主郭の周りは宅地造成でかなり地形が削られて改変されているようである。従って、現在方形郭として残っている主郭も、往時はもっと南と東に広がっていたらしい。改変を受けているとはいえ、住宅地の中に主郭と空堀・帯曲輪が残っているだけでも、良しとすべきであろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.994915/141.249311/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
掻引城は、葛西氏の家臣で唐梅館主長坂千葉氏(千葉刑部少輔の名が伝わる)の平時の居館であったと考えられている。
掻引城は、唐梅館の南麓1.3kmの位置にある。砂鉄川北岸の段丘上にあり、現在は主郭とその北・西周囲の空堀・帯曲輪が公園化されて残っている。それ以外の周囲は住宅地となっていて、主郭南東の住宅地も曲輪跡かと思ったが、帰ってから昭和20年代前半の航空写真を調べると、主郭の周りは宅地造成でかなり地形が削られて改変されているようである。従って、現在方形郭として残っている主郭も、往時はもっと南と東に広がっていたらしい。改変を受けているとはいえ、住宅地の中に主郭と空堀・帯曲輪が残っているだけでも、良しとすべきであろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.994915/141.249311/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1