李埣館(宮城県大崎市) [古城めぐり(宮城)]
←堀跡のような道路
李埣(すもぞね)館は、『伊達世次考』では李曽根要害と記載され、大崎氏の家臣米谷越前入道の居館であったと伝えられる。同書によれば、1536年の大崎氏の内訌の際に、岩手沢一栗氏ら氏家党の攻撃を受け、米谷越前入道・治部父子は李埣館から逃れたと言う。
李埣館は、李埣八幡神社の境内付近にあったらしい。主郭と外郭から成っていたらしいが、現在は神社のすぐ南の館跡中心部付近を市道が貫通するなど、市街化で遺構は全く残っていない。その正確な場所すら明確ではないが、南西に堀跡らしいカーブを描く道路が見られる。また南の空き地に水路、また北の市道沿いにも水路があり、これらも堀跡であった可能性がある。いずれにしても明確な痕跡ではなく、今後の考究に待ちたい。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.574063/140.977163/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
李埣(すもぞね)館は、『伊達世次考』では李曽根要害と記載され、大崎氏の家臣米谷越前入道の居館であったと伝えられる。同書によれば、1536年の大崎氏の内訌の際に、岩手沢一栗氏ら氏家党の攻撃を受け、米谷越前入道・治部父子は李埣館から逃れたと言う。
李埣館は、李埣八幡神社の境内付近にあったらしい。主郭と外郭から成っていたらしいが、現在は神社のすぐ南の館跡中心部付近を市道が貫通するなど、市街化で遺構は全く残っていない。その正確な場所すら明確ではないが、南西に堀跡らしいカーブを描く道路が見られる。また南の空き地に水路、また北の市道沿いにも水路があり、これらも堀跡であった可能性がある。いずれにしても明確な痕跡ではなく、今後の考究に待ちたい。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.574063/140.977163/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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