SSブログ

波田山城(長野県松本市) [古城めぐり(長野)]

DSCN7146.JPG←主郭の虎口郭
 波田山城は、最初は信濃守護小笠原氏の一族櫛木氏、後には小笠原氏家臣の波田氏が城主であった。1462年頃、櫛木市正(いちのかみ)一俊が波田郷の地頭となり、西光寺内城と波田山城を築いた。飛騨・木曽方面の境を固めるとともに対岸の西牧城主西牧氏に備えた。子の紀伊守政盛まで2代在城したと言う。戦国期には信濃守護小笠原長時の旗本波田数馬が城主となった。長時が甲斐の武田信玄に駆逐されると、深志城代日向大和守により1552年に西光寺内城と波田山城は破却された。

 波田山城は、梓川の南方にある標高977m、比高210m程の峰に築かれている。城の南側に遊歩道があり、そこから城への登道が整備されている。中央に長円形の主郭(本城)を置き、北に二ノ郭(北城)、南に三ノ郭(南城)、更に南に四ノ郭を配し、それぞれ堀切で分断しており、連郭式の縄張りを基本としている。そしてそれらの周囲に幾重にも腰曲輪群を築き、堀切から落ちる長い竪堀は、これらを貫通して落ちている。遺構はしっかりと残り、堀切などの普請もしっかりなされているが、如何せん至る所に入山禁止の看板があり、主郭周り以外はあまり自由に見て回ることができない。主郭は低土塁で囲まれ、西側中央に築かれた虎口の外には、腰曲輪より一段高い虎口郭が置かれている。縄張図を見ると、腰曲輪群の中にいくつも竪堀が穿たれているようである。遺構はよく残っているが、入山禁止エリアが多く消化不良気味になる城である。
主郭~三ノ郭間の堀切→DSCN7157.JPG
DSCN7217.JPG←堀切から長く落ちる竪堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.183654/137.837155/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


信濃の山城と館 第4巻(松本・塩尻・筑摩編)―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

信濃の山城と館 第4巻(松本・塩尻・筑摩編)―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2013/04/01
  • メディア: 単行本


nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー