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柿沢城(富山県上市町) [古城めぐり(富山)]

DSCN7722.JPG←二ノ郭腰曲輪の三重竪堀
 柿沢城は、弓庄城主土肥氏の支城である。弓庄系土肥氏は、白岩川・大岩川流域に高原城-弓庄城-柿沢城-茗荷谷山城という城館群を築いており、これらは弓庄城を本拠とし、その支城群と捉えられる。柿沢城主は弓庄城主土肥美作守の兼帯、または美作守の家老桂田善左衛門と伝えられている。位置関係から本城の弓庄城と詰城の茗荷谷山城とを結ぶ繋ぎの城であったと推測されている。

 柿沢城は、大岩川東方の標高169.5m、比高110mの山上に築かれている。明確な登道はなく、尾根への取り付き方もよく分からず、結局北西の谷地に入り込み、尾根を目指して直登した。縄張図によれば、山頂の主郭までの間の尾根上に5つの曲輪を連ねた連郭式の城としているが、一部の曲輪を除いて普請は大雑把で塁線がはっきりせず、そのため縄張図のどこを歩いているのか分かりづらかった。遺構がはっきりしてくるのは、北西から3つ目の曲輪で、三ノ郭に当たると思われる。後部に櫓台を築き、その背後に堀切を穿っている。堀切の上には二ノ郭が築かれている。二ノ郭自体は単なる平場であるが、西側に腰曲輪を築き、そこには三重竪堀が穿たれている。二ノ郭の東には繋ぎの曲輪があり、その東に四角形の主郭がある。主郭はL字型の土塁を築いて後方を防御し、土塁のない切岸には浅い畝状竪堀が穿たれている。柿沢城は、全体的に大雑把な普請の城であるが、畝状竪堀や三重竪堀で防御を固めているのは特徴的である。能登・越中の城で畝状竪堀と言うと上杉氏勢力が介在した城の代名詞であるので、この城も弓庄系土肥氏が上杉氏に属していた時期に、上杉氏勢力の改修を受けたのかもしれない。
二ノ郭手前の堀切→DSCN7702.JPG
DSCN7753.JPG←主郭切岸の畝状竪堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.678495/137.376920/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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