SSブログ

北境館(宮城県石巻市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN2103.JPG←段々になった腰曲輪群
(2020年2月訪城)
 北境館は、賤ヶ岳七本槍の一人、脇坂安治の弟脇坂外記安景の居館と言われる。元々は七尾城主山内首藤氏の南の防衛拠点であったとされ、永正年間(1504~21年)に山内首藤氏と葛西氏が争った際には、葛西勢は北境館の下を通る街道を避け、海上を迂回して本吉郡に上陸し、大森城を囲んだと伝えられる。1591年、葛西氏改易後にこの地は伊達領となった。1613年、脇坂外記安景は伊達家に召し抱えられ、北境館を居館としたと言う。しかし2年後の1615年、伊達政宗に従って大坂夏の陣に出陣し、道明寺口表で奮戦し、敵騎2騎を討ち取ったが、自身も討死した。安景の遺骸は、この館へ運ばれて埋葬されたと伝えられる。

 北境館は、旧北上川の河道にほど近い、標高30m程の丘陵上に築かれている。丘の東側に小道が通っており、その脇から館域に入ることができる。館内はほとんどが未整備の薮で覆われており、遺構もささやかなので遺構確認が少々難しい。東西に二つの郭を配した輪郭式の城館とされる様だが、丘の上には主郭しかない。主郭の周囲には切岸が築かれ、腰曲輪もはっきりしているが、肝心の主郭の削平が甘く、自然地形に近い。この主郭の南東部に脇坂一族の墓地があり、その一角に安景の墓碑が立っている。この他、丘の北東部に土塁で囲まれた低い方形区画が複数あるので、ここに居館があり、丘上は砦であったのではないかと思う(後世の改変の可能性もある)。いずれにしても、明瞭な遺構は少なく、役割がはっきりしない城館である。尚、以前は北麓に城址標柱があったらしいが、現在は無くなっている。
脇坂外記安景の墓碑→DSCN2057.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.474103/141.308888/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


東北の名城を歩く 南東北編: 宮城・福島・山形

東北の名城を歩く 南東北編: 宮城・福島・山形

  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2017/08/21
  • メディア: 単行本


タグ:中世平山城
nice!(5)  コメント(0) 

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント