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風見城(栃木県塩谷町) [古城めぐり(栃木)]

DSCN5006.JPG←東護神社周囲の土塁状の土盛り
 風見城は、宇都宮氏の家臣風見氏の居城と伝えられる。風見氏は、宝治合戦で滅亡した三浦泰村の一族大須賀十郎左衛門嗣胤が宇都宮氏を頼ってその家臣となり、その子孫がこの地に築城して風見氏を称したと伝えられる。『宇都宮興廃記』では、1351年、上野国那波荘の合戦で討死した武士の中に風見新右衛門尉胤重の名が見える。この那波荘の戦いについては、船生城の項に記載する。また1380年、小山義政が宇都宮基綱を敗死させた裳原の戦いでは、その先手の軍勢に風見源右衛門の名が見える。その後も風見氏は代々宇都宮氏に仕えたが、1597年に宇都宮氏が改易となると没落して、風見城も廃城になった。

 風見城は、鬼怒川北岸の標高270m、比高50m程の丘陵東端の峰(明神山)にあるとされる。ここには東護神社が鎮座しており、境内周囲には土塁のような土盛りが見られるが、遺構かどうかは明確にできない。『日本城郭大系』では遺構としているが、神社建設に伴うものである可能性も高く、なんとも言えない。いずれにしても、単郭の小城砦で、単なる物見の砦の様に思われる。尚、いつも参考にしているHP「栃木県の中世城郭」では、北西の山腹に城郭遺構らしきものがあり、そちらが真の風見城ではないかとしている。機会を改めて確認したいと思う。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.735393/139.858607/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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