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金刀比羅山砦(山梨県甲府市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN5049.JPG←主郭後部の土塁
 金刀比羅山砦は、歴史不詳の砦である。甲斐駿河を結ぶ重要街道である中道往還の入口、右左口に築かれた砦で、北東にある右左口砦と共にこの街道を押さえるために築かれたものであることは想像に難くない。武田氏時代に峠筋の守りと烽火台の連絡のために築かれ、その後、1582年の本能寺の変後に勃発した武田遺領争奪戦『天守壬午の乱』の際に、中道往還から入甲した徳川家康によって使用されたものと推測されている。平山優著『天正壬午の乱』では、乱の最中に金刀比羅山砦は右左口砦と共に服部半蔵正成ら伊賀衆が守備し、中道往還の監視に当たったとしている。

 金刀比羅山砦は、右左口宿の背後にそびえる標高655mの金刀比羅山に築かれている。『甲斐の山城と館』では、「東の沢筋から道の標示があるが道形はなく、険しい登り」と記載されているが、実は北尾根に登り道が残っていた。但し、この道の登り口は北麓の民家の裏なので、民家を避けるために県道113号線から1/25000地形図にある東の沢筋の道を入り、5~10m行った先ですぐ尾根に取り付く必要がある。斜面を直登して尾根に至れば、尾根上にははっきりと道が残っている。これを辿っていけば、やがてつづら折れの道となり、山頂近くにはロープも設置されている。国道358号線がこの尾根下をトンネルで貫通しているが、ちょうどこのトンネルの真上の尾根に、段曲輪群8段と竪堀1本が確認できる。またその下方にも段曲輪2段(下の曲輪には小さな石祠がある)と浅い堀切があり、この尾根筋が大手道であったことがわかる。更に登っていくと、途中に2段の段曲輪があり、その先に砦の本体がある。砦は、堀切で区画された3つの曲輪が南北に連なる連郭式の縄張りとなっている。北から順に主郭・二ノ郭・三ノ郭となっている。主郭には金刀比羅神社が祀られ、東・北・西に腰曲輪が1段取り巻き、主郭の東西には帯曲輪と繋がる虎口が構築されている。主郭の北に神社に至る入口があるが、これは後世の改変の可能性が高い神社裏には主郭後部を守る土塁が築かれており、その裏に堀切が穿たれ、二ノ郭が広がっている。二ノ郭は倒木が多くほとんど整備されていない。二ノ郭の先の堀切は、この砦の中では最も深く穿たれている。その先は削平が甘く傾斜した三ノ郭があり、その先端も堀切が穿たれて城域が終わっている。以上が金刀比羅山砦の遺構で、右左口砦よりもしっかりとした普請がなされており、中道往還を押さえる重要な砦として機能していたことがうかがえる。
二ノ郭先端の堀切→DSCN5059.JPG
DSCN5008.JPG←北尾根の段曲輪群
北尾根の竪堀→DSCN5087.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.558790/138.592272/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


山梨の古城

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