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羽賀城(茨城県稲敷市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_9234.JPG←主郭大手の土橋
 羽賀城は、江戸崎土岐氏の重臣臼田氏の居城である。臼田氏は、信濃の名族海野氏の庶流で、1387年に臼田直連が上杉憲定から信太庄布佐郷を宛行われたことが知られているが(『臼田文書』)、入部の時期はこの時であったのか明確ではなく、羽賀城の築城時期も不明の様である。初期の居城は、丸山館であったとも言われている。その後、臼田氏は江戸崎土岐氏に従属し、江戸崎城の西の守りとして重臣臼田勘解由左衛門尉が羽賀城を守備したと考えられる。1590年の小田原の役で土岐氏が滅亡すると、臼田氏は帰農したと言う。

 羽賀城は、江戸崎カントリー倶楽部東側の比高20m程の丘陵先端部に築かれている。丘陵の南側一帯は、現在は小野川氾濫原の水田地帯だが、地図に「羽賀沼」の地名が残っている通り、往時は沼をいただいた一面の低湿地帯であったらしい。そして低湿地帯の際の台地に根古屋(現在の羽賀集落)があり、その背後の丘陵に羽賀城があった。城の中心部は土橋で連結された2つの曲輪で、西側が主郭、東側が二ノ郭となっている。主郭・二ノ郭の間は空堀で分断され、更にこの空堀は主郭と二ノ郭の北側も取り巻いている。二ノ郭では空堀が東側まで伸びている。主郭・二ノ郭には隅櫓台や土塁が散見される。例によって祠も祀られているが、ここでは珍しいことに主郭北東の隅櫓台の祠にダルマが置かれていた。主郭・二ノ郭とも、南側は急峻な切岸のみで防御され、その下に城主居館跡と思しき宅地があり、主郭の南西端から削り残されたような土塁がL字型に伸びて宅地の西側を囲んでいる。また二ノ郭の南東に虎口があり、土橋を介して馬出し状の小郭が置かれている。小郭の周りも空堀が穿たれ、二ノ郭東側の広い三ノ郭に土橋で連結されている。三ノ郭の外周にも浅い堀と土塁が築かれている。三ノ郭の北東に隣接して東耀寺と羽賀神社があり、この辺りも城域だったと思われるが、改変されているので確かなことはわからない。この他、主郭の北から西側下方にかけても平場が広がっており、曲輪群が展開していた様である。以上の様に羽賀城は、遺構はよく残っているが、全域未整備の竹藪となっており、歩けないほどではないが遺構が埋もれつつあるのは少々残念である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.936234/140.292985/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世崖端城
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二条城(茨城県稲敷市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_9140.JPG←土塁と空堀と思われる地形
 二条城は、森戸城とも言い、歴史不詳の城である。江戸崎城の南西を守る出城であったと言われることから、江戸崎土岐氏の支城であったと思われるが、詳細は不明である。
 二条城は、小野川北岸の比高20m程の段丘上に築かれている。南の国道408号線から急坂の切通しを登っていくと、奥に2件ほどの民家があり、そこが主郭である。民家の周囲に土塁や空堀らしい地形があり、付近にも塚か古墳かわからない、謎の土壇が散在している。しかし、土塁を踏むと土が柔らかいので、遺構なのかどうか迷ってしまう(遺構の土塁ならば版築で築いているので、固く締まっているはず)。また全体に藪が未整備で、かつ民家に近いせいもあって、あまり遺構をよく確認できなかった為、縄張りがよく把握できなかった。遺構の規模も小さく、結局かなり消化不良の城となってしまったのは残念である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.928832/140.274146/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世平山城
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最近のGoogle Map、すげぇ。 [雑感]

最近のGoogle Mapだが、急速にパワーアップしてきているのに気づいた。

というのも、他のYahooとかMapFanとかと比べると、
以前は城跡や史跡・名所などのランドマークが少なく、
城址探索・史跡巡りの準備作業で、
マイマップにこれらの位置をプロットしていくのが大変だったのだが、
最近はかなりマイナーな城址・史跡まで、
検索すると場所をピンポイントで示してくれるようになったのである。

地図をかなり拡大しないと表示されない城址・史跡も多いが、
(なぜか検索するとヒットするのに、MAP上に表示されない城址・史跡もある。
 裏データがあるのかな?)
お陰で地図をスクロールしていくと、初めて気づく史跡もある。

多分、一般人が入力したポイントのクラウドデータを元に、地図データを整備しているんだろうが、
Googleすごいなぁ・・・。
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大日山城(茨城県龍ケ崎市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_9044.JPG←大きな隅櫓台
 大日山城は、歴史不詳の城である。城址南を東西に走る県道5号線は古くからの街道で、登城山城長峰城等が並んで築かれていることから、大日山城も江戸崎土岐氏の家臣の城と考えるのが自然であろう。
 大日山城は、比高20m程の段丘南東端に築かれている。ほぼ単郭の簡素な城砦であるが、主郭は広く、南西辺以外は外周に土塁を築いて防御している。北東角と北西角の2ヶ所に隅櫓台を設け、西側には台地基部と分断する広幅の堀切が穿たれている。堀切の外側にも櫓台状の土壇が張り出しており、外郭を伴っていた様である。主郭の東辺は全体として円弧状の形状をしているが、主郭塁線は実際には曲線ではなく、直線が数ヶ所で折れた多角形状をしている。また主郭の南西斜面と北東斜面には2段程の帯曲輪が築かれている。北西の隅櫓台の南側には枡形状の空間や土塁があり、更に堀切から落ちる竪堀にも繋がっている。大日山城は、遺構は完存しており、単郭の城にしては堀切や櫓台など遺構の規模が大きく見応えがあるが、全体が竹藪で覆われており、見栄えが悪いのが残念である。
台地基部の堀切→IMG_9036.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.922907/140.245392/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世崖端城
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