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鶴ノ丸館(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_0148.JPG←主郭跡
 鶴ノ丸館は、藩政時代に仙台藩の家臣茂庭氏・西大條氏の居館であった。元々は、葛西氏の家臣で日良館主沼田氏の別館であったと言われる。沼田氏は、1190年に葛西清重から日良館を拝領し、以後17代にわたって日良館に住し、1590年、沼田四郎宗綱の代で葛西氏の没落に伴って断絶したと伝えられる。その後の1618年、仙台藩召出・茂庭定元が名取郡茂庭村(仙台市生出)から八樟村に所替になり、550石余を賜わり鶴ノ丸館に5代にわたって居住した。1703年に茂庭氏は再び茂庭村に所替となり、その後に西大條定賀が知行高600石余で鶴ノ丸館に入部し、9代賀知の時に明治維新を迎えたと言う。尚、昭和53年に東北道建設に伴う発掘調査の結果、鎌倉時代以降の館跡であることが確認されている。

 鶴ノ丸館は、低地帯に突き出た比高4m程の微高地先端に築かれた城館である。前述の通り東北道が館跡を貫通し、大きく破壊を受けている。しかし主郭は東側1/3程が残り、東側については概ねその形状を追うことができる。発掘調査結果によれば、合計3段の曲輪で構成され、上段郭(主郭)・腰郭・下段郭と命名されている。主郭の東側に堀跡のような低地の水田があったが、これは削平されてしまった下段郭だったとのことである。この他、主郭南側の堀跡が車道として痕跡を残し、高速道路の西側には下段郭の北西部が微高地として残っている。わずかとはいえ遺構が残っているのは貴重である。尚、東側の車道脇に解説板が建っているが、ペンキが剥げて字がほとんど読めなくなってしまっているのは残念。
南側の堀跡の道路→IMG_0152.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.755338/141.048607/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


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タグ:居館
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