岡城(栃木県矢板市) [古城めぐり(栃木)]
←主郭外周の横堀
岡城は、天正年間(1573~92年)に川崎城主塩谷氏の家臣岡民部兼定の居城であったと伝えられる。兼定は、1585年に宇都宮氏と那須氏が激突した薄葉ヶ原合戦で、塩谷義綱の麾下で参陣している。塩谷氏改易後は宇都宮氏の家臣となったと言う。
岡城は、比高わずか10m程の台地上に築かれている。東から順に主郭・二ノ郭・三ノ郭と連ねた縄張りだったらしいが、現在は二ノ郭・三ノ郭は民家・畑と工場などに変貌して改変されており、明確に残っているのは主郭だけである。城域東端の腰曲輪は、現在城山霊園という小さな墓地になっているが、その脇に主郭の切岸がそびえ、墓地の奥には主郭外周を廻る横堀が見える。主郭は南東に土塁を築き、前述の通り東・北の外周を横堀で防御している。南東には帯曲輪も確認できる。しかし主郭西側の形状はあいまいで、段差や切岸などが散見されるが構造がはっきりとは捉えきれない。また二ノ郭の途中までは残存しているように思われ、堀切状の溝地形が山林の際に確認できる。訪城は簡単であるが、城内は薮が比較的多いのが残念である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.770380/139.952742/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
岡城は、天正年間(1573~92年)に川崎城主塩谷氏の家臣岡民部兼定の居城であったと伝えられる。兼定は、1585年に宇都宮氏と那須氏が激突した薄葉ヶ原合戦で、塩谷義綱の麾下で参陣している。塩谷氏改易後は宇都宮氏の家臣となったと言う。
岡城は、比高わずか10m程の台地上に築かれている。東から順に主郭・二ノ郭・三ノ郭と連ねた縄張りだったらしいが、現在は二ノ郭・三ノ郭は民家・畑と工場などに変貌して改変されており、明確に残っているのは主郭だけである。城域東端の腰曲輪は、現在城山霊園という小さな墓地になっているが、その脇に主郭の切岸がそびえ、墓地の奥には主郭外周を廻る横堀が見える。主郭は南東に土塁を築き、前述の通り東・北の外周を横堀で防御している。南東には帯曲輪も確認できる。しかし主郭西側の形状はあいまいで、段差や切岸などが散見されるが構造がはっきりとは捉えきれない。また二ノ郭の途中までは残存しているように思われ、堀切状の溝地形が山林の際に確認できる。訪城は簡単であるが、城内は薮が比較的多いのが残念である。
主郭の土塁→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.770380/139.952742/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1