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勝沢城(群馬県前橋市) [古城めぐり(群馬)]

DSCN1946.JPG←主郭西の大堀跡の道路
(2020年7月訪城)
 勝沢城は、鎌倉初期の武士、藤沢次郎清近(清親)の居城と伝えられている。清近は、射術に秀で、源頼朝の腹心として抜擢されて戦功があったと言う。従って勝沢城は鎌倉時代に始まるが、近代まで残っていた遺構は戦国期のものと推測され、嶺城の支城であったと考えられている。支城であったことから、「番城」の地名が残されていると推測されている。

 勝沢城は、藤沢川とその支流の小河川に挟まれた台地上に築かれていた。現在は一面の住宅団地に変貌しており、遺構は完全に湮滅している。昭和20年代前半の航空写真とGoogleMapの航空写真を照合すると、主郭は「高花台一丁目駐車場」という広い駐車場の西側にあったらしい。前述の昭和20年代前半の航空写真を見ると、主郭はやや横長の長方形に近い形状の曲輪で、その北側にはわずかに横矢の掛かった空堀を挟んで東西に長い帯曲輪があり、主郭の南にも空堀を挟んで南郭があった。またこれらの曲輪の西側に南北に貫通する大堀があり、この大堀によって西側の曲輪群と分断された一城別郭の縄張りであったらしい。主郭の西にあるのが二ノ郭とされ、その南北にも曲輪が付随していた様である。これらの内、大堀跡の南半分には車道が通り、主郭跡に建つ民家よりも道路面が若干低くなっていて、わずかにその名残を感じさせる。尚、ネットで確認したところ、勝沢城のことを取り上げているHPの多くが、城の位置を誤認している。主郭の位置は、下記のリンク先が正しい。
主郭の現況→DSCN1943.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.426393/139.105979/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世平城
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