小坂子城(群馬県前橋市) [古城めぐり(群馬)]
←主郭西側の切岸
(2020年7月訪城)
小坂子城は、西新井城とも言い、嶺城の支城である。城主は五十嵐和泉守で、元は関東管領山内上杉氏の家臣で、上野漆原城主であった。弓の名人で、長野氏の守る箕輪城と連携して西上州を押さえていたが、1566年に武田信玄の上州攻めで箕輪城が落城し、長野氏が滅亡すると、和泉守は厩橋城に落ち延びた。厩橋城主北条丹後守高広は、和泉守を家臣に取り立て娘を嫁がせるなど厚く待遇した。この時に和泉守は小坂子村を賜って、小坂子城主となったと言う。その子荘左衛門久和は仏門に入っていたが、厩橋城主酒井雅楽頭忠世に見出されて世子安房守忠行の旗本に取り立てられ、大坂冬の陣・夏の陣に従軍し、大きな手柄を立てたと言う。
小坂子城は、小坂子八幡神社とその北側に伸びる段丘上に築かれている。神社境内は南の外郭に当たり、主郭は神社から160m程北にある。主郭は縦長長方形の曲輪で、周囲より高くなっており、北・西・南の三面に切岸が残る他、南には堀切が残存している。この堀切道の入口に城址解説板が立っている。主郭内は畑に変貌しており、主郭の東辺部はどこまで広がっていたのか、現状ではよくわからない。主郭の南北にも曲輪が連なっていたと思われるが、地勢以外は不明瞭である。主郭だけでも完存していればと惜しまれる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.430071/139.112288/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
(2020年7月訪城)
小坂子城は、西新井城とも言い、嶺城の支城である。城主は五十嵐和泉守で、元は関東管領山内上杉氏の家臣で、上野漆原城主であった。弓の名人で、長野氏の守る箕輪城と連携して西上州を押さえていたが、1566年に武田信玄の上州攻めで箕輪城が落城し、長野氏が滅亡すると、和泉守は厩橋城に落ち延びた。厩橋城主北条丹後守高広は、和泉守を家臣に取り立て娘を嫁がせるなど厚く待遇した。この時に和泉守は小坂子村を賜って、小坂子城主となったと言う。その子荘左衛門久和は仏門に入っていたが、厩橋城主酒井雅楽頭忠世に見出されて世子安房守忠行の旗本に取り立てられ、大坂冬の陣・夏の陣に従軍し、大きな手柄を立てたと言う。
小坂子城は、小坂子八幡神社とその北側に伸びる段丘上に築かれている。神社境内は南の外郭に当たり、主郭は神社から160m程北にある。主郭は縦長長方形の曲輪で、周囲より高くなっており、北・西・南の三面に切岸が残る他、南には堀切が残存している。この堀切道の入口に城址解説板が立っている。主郭内は畑に変貌しており、主郭の東辺部はどこまで広がっていたのか、現状ではよくわからない。主郭の南北にも曲輪が連なっていたと思われるが、地勢以外は不明瞭である。主郭だけでも完存していればと惜しまれる。
主郭南側の堀切跡→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.430071/139.112288/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世平城