前原城(栃木県栃木市) [古城めぐり(栃木)]
←赤麻遊水地の遠望
(2020年8月訪城)
前原城は、下野の名族小山市の庶流中沼(長沼)氏の城である。一般的には長沼氏として知られるこの氏族は、小山政光の次男中沼(長沼)淡路守宗政を祖とし、その後裔として鴫山城を本拠とした奥州長沼氏や、戦国下野で奮闘した皆川城の皆川氏を輩出した。前原城の中沼氏も同族で、鎌倉末期に中沼右京大夫宗忠が築城したと伝えられる。また南北朝期の文和年間(1352~56)頃には、長沼宗政6代の孫、中沼右近大夫守忠が前原城主で、その長男越前守守行が初めて前原氏を称したとされる。城は1590年まで存続したと言う。
前原城は、西前原集落の南方にあったらしい。菱形の形状をしていたと伝えられるが、大正初期の赤麻沼北岸の遊水地化によって全壊した。従って城址は現在、渡良瀬遊水地の一部を為す赤麻遊水地の一画に埋没しており、どこにあったのか、その位置すら明確にできない。尚、西前原集落の北端に稲荷神社があるが、前原城と関連するものと考えられているらしい。せめて神社に社伝を書いた説明板でもあればよかったのだが・・・。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:【推定地】
https://maps.gsi.go.jp/#16/36.270919/139.697771/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
(2020年8月訪城)
前原城は、下野の名族小山市の庶流中沼(長沼)氏の城である。一般的には長沼氏として知られるこの氏族は、小山政光の次男中沼(長沼)淡路守宗政を祖とし、その後裔として鴫山城を本拠とした奥州長沼氏や、戦国下野で奮闘した皆川城の皆川氏を輩出した。前原城の中沼氏も同族で、鎌倉末期に中沼右京大夫宗忠が築城したと伝えられる。また南北朝期の文和年間(1352~56)頃には、長沼宗政6代の孫、中沼右近大夫守忠が前原城主で、その長男越前守守行が初めて前原氏を称したとされる。城は1590年まで存続したと言う。
前原城は、西前原集落の南方にあったらしい。菱形の形状をしていたと伝えられるが、大正初期の赤麻沼北岸の遊水地化によって全壊した。従って城址は現在、渡良瀬遊水地の一部を為す赤麻遊水地の一画に埋没しており、どこにあったのか、その位置すら明確にできない。尚、西前原集落の北端に稲荷神社があるが、前原城と関連するものと考えられているらしい。せめて神社に社伝を書いた説明板でもあればよかったのだが・・・。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:【推定地】
https://maps.gsi.go.jp/#16/36.270919/139.697771/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世平城