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屋代氏館(山梨県北杜市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN1196.JPG←車道脇に残る土塁
(2020年7月訪城)
 屋代氏館は、屋代越中守勝永(秀正)の居館である。屋代氏は元々東信の雄村上氏の一族で、信濃国埴科郡屋代郷を本領としていた。その事績は屋代城の項に記載する。勝永は、徳川家康に服属すると、その重臣酒井忠次の配下となった。1614年、徳川氏の実質的な天下支配が確立すると、勝永は上神取に入部して、この館を構えた。巨摩郡1万5千石を、真田隠岐守信尹(信昌)・三枝平右衛門昌吉と共に知行し、真田氏は大蔵村に、三枝氏は東向村に、それぞれ居館を構え、塩川の東西に3氏の居館が集中する形となった。勝永は1623年に66歳で没し、その子忠正が跡を継いで1万石を領したが、1632年に主君の駿河大納言徳川忠長(3代将軍家光の弟)が乱行の故を以って改易となると、屋代氏も甲斐・信濃の領地を没収された。この時、屋代氏館も廃絶されたと推測されている。忠正は、1636年に赦され、1638年に安房国に1万石を賜った。1662年に没したと言う。

 屋代氏館は、塩川東岸の段丘上に築かれている。館跡は、現在ほとんどが水田、一部が宅地となっている。しかしわずかに西辺の土塁が長さ50mにわたって車道脇に残っている。高さのある大土塁で、往時の館の規模がうかがわれる。もし全周の土塁が残っていたら、さぞ壮観だったろうと惜しまれる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.796722/138.440630/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 甲斐の山城と館

縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 甲斐の山城と館

  • 作者: 宮坂武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2014/03/24
  • メディア: 単行本


タグ:居館
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