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兵部平(山梨県身延町) [古城めぐり(山梨)]

DSCN3452.JPG←伝飯富兵部少輔供養塔と古屋家墓
 兵部平は、武田信玄の重臣飯富兵部少輔虎昌の屋敷跡と伝わっている。虎昌は、天文年間(1532~55年)より東信地方を統括していた勇将で、飯富隊は赤備えで勇名を馳せた。信玄の信任厚く、嫡男太郎義信の傅役にも任ぜられたが、1565年に義信が反逆した罪で幽閉された、いわゆる義信事件に連座して、切腹させられた。虎昌の弟源四郎昌景が跡を継いだが、断絶していた名家、山県氏の名跡を継いで山県昌景と改姓したため、飯富氏は断絶した。しかし虎昌の遺児坊麿呂(時に4歳)は、京都三条家(信玄正室三条夫人の実家)に預けられ、成長して古屋弥右衛門昌時と改名して、17歳で父の故地飯富に帰って居を構えたと言う。昌時の4代の孫、弥次右衛門昌光は、富士川水運を中興する豪商となった。

 兵部平は、富士川と早川の合流点北西にある飯富集落付近にあったらしい。しかし『甲斐の山城と館』によれば、兵部平の位置は明確ではなく、虎昌がこの地に住んだとの確証もないらしい。永久寺や飯富八幡神社の背後にある台地が想定されるが、一面の畑となっていて明確な遺構は何もない。ただ、永久寺北西の畑の奥に、古屋弥右衛門昌時が亡父飯富兵部少輔の供養の為に建てたと伝わる宝篋印塔が残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.434388/138.435845/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦国大名武田氏の家臣団―信玄・勝頼を支えた家臣たち

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  • 出版社/メーカー: 教育評論社
  • 発売日: 2016/06/23
  • メディア: 単行本


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