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下山城(山梨県身延町) [古城めぐり(山梨)]

DSCN3483.JPG←竹薮となった堀跡
 下山城は、穴山氏館とも言い、甲斐武田氏の一族穴山氏の居城である。穴山氏入部前には、下山氏の本拠地であった。下山氏は、甲斐源氏の一流加賀美遠光の長男秋山光朝の子、小太郎光重が建仁年間(1201~4年)に下山に入部して下山氏を称したことに始まるとされる。その後、兵庫介光基、次郎入道、兵衛太郎らの名が吾妻鏡等に見られる。光基は、日蓮の門下となったことが知られる。その後、1418年頃に穴山氏が河内に入部し、下山氏館跡に居城を構えたとされる。穴山氏の草創については穴山氏館の項に記載する。戦国時代には、武田氏の親族衆として、伊豆守信友、信君(梅雪)父子が活躍した。1569年に武田信玄が今川氏を滅ぼして駿河を手中にすると、1575年に信君は駿河江尻城主となり、下山は留守所となった。1582年に織田信長が武田征伐を始めると、信君は江尻城を明け渡して徳川家康に降った。しかしわずか3ヶ月後に本能寺の変が起こり、家康と共に堺にいた信君は帰国の途中、落ち武者狩りに襲撃されて落命した。穴山氏では信君の子で、まだ幼い勝千代が残されたが、勝千代が1587年に夭折すると穴山家は断絶し、穴山領は徳川氏の支配下となった。これに伴い、下山城は廃城になったと推測されている。

 下山城は、現在本国寺境内や保育園となっている。国道52号線から見ると、5m程標高が高い山裾の微高地であるが、遺構はほとんど残っていない。城址碑が立つ他、台地の北東部にわずかに堀跡が残っている。但し密生した竹薮となっていて、ほとんど形状がわからない。残念な状況である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.413773/138.441167/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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