SSブログ

神流川古戦場 その1(群馬県高崎市、藤岡市) [その他の史跡巡り]

DSC10128.JPG←石碑と解説板
 神流川古戦場は、小田原北条氏と織田氏との決戦の地である。1582年3月、武田家を滅ぼした織田信長は、滝川一益を 厩橋城に置いて関東管領とし、上州を押えさせた。しかし同年6月、本能寺の変で信長が討たれると、北条氏直は直ちに鉢形城の北条氏邦の軍勢と共に上野に侵入し、滝川一益の軍勢と神流川で決戦した。このときの兵数、滝川軍1万6千に対し北条軍5万と伝わる。実際はもっと少なく、双方ともこの半分以下であったろう。滝川一益は関東に下向して日が浅く、上州諸豪をそれほど手なずけていなかったはずだし、北条方も5万の動員は、小田原から北上する道すがら各地で軍勢を合流させたにしても、時間的に間に合わないであろう。
 序戦では滝川方が神流川を渡河して金窪城を抜き、勝利を得た。しかし劣勢だった北条方は体制を立て直して反撃。この戦いで滝川軍は3,760級もの戦死者を出したと言う大激戦であった。大敗した一益は碓氷峠を越えて、本領の伊勢長島に逃げ帰った。
 かつて北条・武田・上杉三氏の争奪の地であった上州は、この合戦以後、ほぼ北条氏の手中に帰した。名胡桃城の真田昌幸を除いては。真田氏との緊張関係がその後続き、そして小田原北条氏は、ついに運命の1590年を迎えるのである。

 古戦場の碑は、神流川を群馬県側に越えた国道17号線脇に建っている。また、合戦の戦死者の胴を埋めたと言う胴塚稲荷や、首を埋めて弔った首塚八幡宮が残っている。
胴塚稲荷→DSC10130.JPG
DSC10134.JPG←首塚八幡宮

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.269484/139.116375/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
   【胴塚稲荷】https://maps.gsi.go.jp/#16/36.266421/139.099832/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
   【首塚八幡宮】https://maps.gsi.go.jp/#16/36.264951/139.100904/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

※後日の合戦史跡の追加訪問記はこちら


天正壬午の乱 増補改訂版

天正壬午の乱 増補改訂版

  • 作者: 平山 優
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2015/07/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


タグ:古戦場
nice!(4)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 2

ノリパ

真田だけしぶとく生き残ったんですね。さすが、サナダ。
by ノリパ (2009-08-31 18:21) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
北条ファンからすれば、惜しいことでした。
真田と仲良くやってれば良かったんですけどね。
by アテンザ23Z (2009-08-31 19:34) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント