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一栗古楯(宮城県大崎市) [古城めぐり(宮城)]

IMG_3823.JPG←主郭東側の大堀切
 一栗古楯(一栗古館)は、鹿ヶ城、八幡館とも呼ばれ、戦国時代に大崎氏の家臣で岩手澤城主氏家氏の一族、一栗放牛によって築かれ、その子氏家宗蓮も居館とした。戦国後期に放牛の孫、兵部隆春は一栗城を築いて居城を移した。この時、古楯が廃されたのかは不明だが、一栗城防衛の支城として残されたのではないだろうか。
 尚、一栗(氏家)兵部隆春が一栗城を築城した際、その記念として植樹したと伝えられる大きなヒバの木が、古楯の南中腹に建つ八幡神社宮司の家の庭先に見事な姿を残している。

 一栗古楯は、江合川東岸の比高70m程の舌状丘陵先端部に築かれている。主郭には現在古館八幡神社が建っているので、参道が整備されており、簡単に登ることができる。最初の鳥居をくぐって階段を登っていくと、西側に腰曲輪が幾つか確認できる。中腹は広い平場になっていて、前述の通り宮司の家などが建ち、畑などが広がっている。往時はここも一郭であったろう。更に参道の階段を登ると、神社の建つ主郭に至る。主郭は比較的小さな曲輪であまり居住性はない。神社の東側に古墳があり、往時は物見台になっていたと思われる。主郭の西側には馬蹄形曲輪が一段、南斜面にも腰曲輪があるが、神社建設で一部改変されている。一方、主郭の東側には城郭遺構がよく残っている。主郭は高さ10m程の切岸でそびえており、東尾根を大堀切で分断している。その東も平場となっており、外郭があったと思われるが、藪が多いので未踏査である。大堀切は堀底道を兼ねており、南北の腰曲輪を繋いでいる。堀切の南側は側方に土塁を築いた通路となっており、木戸口か何かがあったようだ。南の腰曲輪は比較的広く、南西部に虎口があって、竪堀状の城道に繋がっている。この部分は参道の階段脇に見ることができる。その他、南側に何段か更に腰曲輪が築かれている。一栗古館は、一栗城に行く途中でたまたま標柱を見つけて立ち寄ったが、予想以上に城跡らしい遺構が残っていた。

 尚、城の名称であるが、普通は単に「古楯(古館)」と呼ばれるが、古楯という城館は各地にあるので、ここでは他と区別する便宜上、「一栗古楯」として記載した。
古墳のある主郭→IMG_3804.JPG
IMG_3811.JPG←南腰曲輪の虎口
 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.690082/140.863631/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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