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放下僧館(栃木県那須烏山市) [古城めぐり(栃木)]

DSCN8688.JPG←館跡に立つ祠
 放下僧館は、大里館とも言い、この地の豪族牧野左衛門勝重の居城と伝えられている。勝重は、上州伊香保温泉へ湯治に出向いた際、相模の住人利根大膳信俊と遊女のことで喧嘩となり、殺されたと言う。勝重の子、次郎丸と小次郎は出家し、禅僧の姿で踊りや雑芸をしながら物乞いに歩く放下僧となり、父の仇信俊を捜して諸国を巡った。やがて二人は武州金沢にある瀬戸明神社で信俊を見つけてこれを討ち取り、父の墓前に首級を供えて弔った。時の烏山城主那須之隆は兄弟の忠義を称え、次郎丸に永楽100貫の地を与え、牧野家を再興させたと伝わる。異説もあり、烏山城主那須資胤の子牧野顕高が刃傷沙汰で落命し、顕高の子が放下僧となり、やがて父の仇を討ったとも伝えられている。

 放下僧館は、荒川と沢で挟まれた台地突端に築かれている。西側を走る市道脇に「放下僧館跡」の案内表示が建っており、そこから東に向かって畑の中の畦道を歩いていくと、館跡に至る。しかし遺構が明瞭でないため、どこから館跡なのか判断しにくいが、畑の中にわずかな段差が残っており、そこから東側が館跡と考えられる。畑の先は薮になっているが、そこに館の解説板が立ち、その奥に小さな祠が祀られている。祠の先の薮の中にも平場が続き、先端近くで一段低くなっている。確認できるものとしてはそれだけで、要害地形ではあるが台地基部に堀切も残っていないので、往時はどの様な城館だったのか、現状からだけでは推測が難しい。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.643054/140.112988/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


栃木県の歴史 (県史)

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  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2012/02/01
  • メディア: 単行本


タグ:居館
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