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大串次郎館(埼玉県吉見町) [古城めぐり(埼玉)]

DSCN2019.JPG←川沿いの竹薮の中の土塁状地形
 大串次郎重親は、武蔵七党横山党の一流である。大串氏は、由木保経の次男・次郎隆(孝)保が大串郷に入部して大串氏を称したのに始まる一族で、隆保の子が重親である。重親は、烏帽子親が坂東武者の鏡とされる畠山重忠であり、「重」の字は重忠からの偏諱である。治承・寿永の乱(いわゆる源平合戦)では源氏方に属して活躍した。『源平盛衰記』等の軍記物では、宇治川の戦いの際、急流を徒歩で渡ろうとして足を取られて流されそうになった重親が近くで渡渉していた重忠にしがみつくと、怪力の重忠は重親を掴んで向こう岸まで投げ飛ばしたと伝えられる。重親は、敵前で「徒立ちの先陣なり」と大声で名乗り、敵味方から笑いが起こったという(既に佐々木高綱が騎馬で先陣の功を上げていた)。

 大串次郎館は、市野川北岸の自然堤防上にあったらしい。明確な位置は不明であるが、ネットの記事を参照すると2ヶ所の候補地が考えられる。一つは現在の堤防の南側にある竹薮で、遺構はあまりはっきりしないが、土塁らしきものが見られる。もう一つは、そこから北東にやや離れた集落内で、民家の周囲に堀や土塁らしい地形が見られる。どちらであったのかは明確ではないが、自然堤防上にあったことから推測すると、前者の方が有力であるように思う。ちなみに、埼玉県埋蔵文化財情報公開ページの遺跡地図では、この2つとも異なる、金蔵院付近を館跡としている。それにしても、館跡近くにある県道76号線の橋の名が「徒歩橋」と言う名で、珍しい名前だと思っていたが、大串次郎の徒立ちの先陣に由来する名だとその事績を調べていて気が付いた。
 尚、金蔵院の西方約60mの畑の中にある宝篋印塔は、大串次郎重親のものと伝承されている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.020043/139.472616/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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