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虚空蔵山城(長野県上田市) [古城めぐり(長野)]

DSC05784.JPG←虚空蔵山城の物見台(山頂)
 虚空蔵山城は、北信濃の戦国大名村上氏が築いた太郎山城塞群の最上部にある城で、城塞群の中核をなす城であったと考えられる。城の築かれた虚空蔵山城は標高1076.9m、和合城麓の登り口からの比高なんと656.9m。これまででダントツの登城比高記録である。和合城・高津屋城鳥小屋城と、3つの城を巡りながらの登城であるが、麓からなんと2時間15分の登山。しかも鳥小屋城からソデと呼ばれる尾根の鞍部に向かって一気に40mも降り、そのあと急傾斜の尾根道をロープを伝って延々100m以上の標高差をよじ登らなくてはならない、ハンパじゃないハードな山城なのである。なまった体で登ったらとても無事では済まない城で、この冬の埼玉での山岳跋渉行軍の成果である。
 しかし山頂からの眺めは最高で、上田原全域を手に取るように見渡すことができる。この城塞群を保持していれば、確かに上田原に布陣した敵軍の動きは筒抜けで、若き武田信玄が村上義清に上田原の戦いで大敗を喫したのも無理からぬことだったろう。
 虚空蔵山城は、高津屋城や鳥小屋城と異なり、かなり本格的な普請がされた城という印象を受ける。城自体は小ぶりとは言うものの規模の比較的大きいしっかりした堀切を持ち、小屋掛け用と思われる腰曲輪を備えて兵の居住性も確保している。雪で埋もれてはっきりしないが、石積みもありそうだ。上田原の確保のために、なくてはならない重要な見張り場だったのだろう。
 それにしても、太郎山城塞群の城郭密度の濃さはどうであろう。おそらく武田軍の北信濃侵攻が本格化しだした頃に集中的に築かれたと考えられるが、村上義清がこの地を本拠葛尾城に対する絶対防衛線として、最重視していたことが伺われる。そしてそれを2度の敗戦によって知悉していた信玄は、力攻めによる正面決戦を避け、調略とひたひたと忍び寄る軍勢の圧力によって村上陣営の切り崩しを図り、義清を小県から追い落としたのである。
小屋掛け用の腰曲輪→DSC05796.JPG
DSC05760.JPG←本郭西側の堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.430051/138.221474/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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ノリパ

標高1000m超の登山、お疲れ様です。
ここが制覇できれば、あとの山城はチョロイもんですね。
それにしても、すごいパワーですね。
by ノリパ (2009-06-16 07:18) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
この城に登った時は、時間よりも体力温存を優先して登りました。この城の攻略成功は、体力的な自信に繋がりました。でも長野には、まだまだキツイ城がいっぱいあって・・・。
by アテンザ23Z (2009-06-17 21:48) 

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