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湯ノ沢城(神奈川県山北町) [古城めぐり(神奈川)]

DSC07652.JPG←山間の窪地(屋敷の平)
 湯ノ沢城は、小田原北条氏が甲斐武田氏の相模侵攻に備えて築いた山城である。築城時期は定かではないが、中川城等と共に西丹沢の甲州道を押さえる目的で築かれたと考えられる。湯ノ沢城は、北条氏の重臣筆頭松田憲秀の弟で松田城主であった松田新次郎康隆の持ち城と伝えられ、その城主の格からもこの城が北条氏にとって重要な位置付けであったことが伺われる。1568年に始まった武田信玄による駿河侵攻で甲相駿三国同盟が崩壊し、今川氏を支援する北条氏と武田氏の間は極度の緊張状態となり、翌1569年10月、信玄は小田原遠征を行い、その帰途、三増峠で激戦が繰り広げられた。そのわずか2ヵ月後の12月、信玄は再び甲相国境に出兵し、北条方の境目の城9城を攻め落とした。この際、足柄城河村新城・中川城・大仏城山等と共に湯ノ沢城も落城したと伝えられている。その後の歴史は定かではないが、北条氏滅亡と共に廃城になったと思われる。

 湯ノ沢城は、中川温泉の東方約1kmの、東西を沢に挟まれた屋敷の平と言われる山間の窪地に築かれている。日本城郭大系では、湯ノ沢城が直接古道を扼するのではなく、敵の目を忍ぶかの様に古道から離れた奥まった位置に築かれ、見張りに適した地形が選ばれていることから、敵情の後方伝達や軍事行動の中継地点として機能したのではないかと推測している。

 湯ノ沢城には、登城道は全くなく、沢に面した絶壁を登るしか登城する方法はない。城の位置も正確にはわからなかったが、大系の記事と地形図を照らし合わせて、ここだろうという見当でアタックした。斜度45度近い急斜面を、転落しない様慎重に登り切って尾根上に到達し、そのまま尾根を登って行くと、途中の尾根上に小郭らしいものがあり、物見台だった可能性がある。更に登ると、尾根の東側下方に隠れるように広い平場が広がっており、ここが湯ノ沢城であろう。この平坦地は、大系の記事通り南東から北西にかけて下り勾配で扇状に広がっており、郭内は僅かな段差で2つに分かれているようである。平場の上方に当たる北西部には小屋があり、途中の尾根にワイヤー数本が有ったことから、植林と材木伐採を行っている場所と考えられる。この平場からみると、登ってきた南側の尾根は風除け土塁の様な役目を果たしていたのかも知れない。城の形態としては日尾城の構造に似ており、尾根間の広い窪地を数段の曲輪に整形して兵の駐屯地としただけの簡単な城だった様だ。大系の推測通り、積極的な防衛陣地というより、古道の偵察・監視を主任務とした城だった様に思われる。

 尚、湯ノ沢城に登るのはかなりの危険を伴うので、登る方はあくまで自己責任で行って欲しい。
湯ノ沢城主郭→DSC07635.JPG
DSC07619.JPG←尾根上の物見台?
尾根上の堀切?→DSC07659.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.444444/139.058056/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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らんまる

相変わらず凄まじい山城を攻城されておられるのですね。
どうぞ、命だけは大切になさって下さい。(人の事は言えない立場ですが・・笑)
かくいう小生も「名も無き城」といわれる土の城を「名もあり歴史を刻んだ城」として掲載したい思いは同じだと思います。
by らんまる (2011-06-08 22:05) 

アテンザ23Z

>らんまるさん
ここは本当に、落ちたら死ぬと思いました(^^;
それでも行ってしまうのが、我ながら無鉄砲なところです。
まぁ、とりあえず天敵のクモさえいなければこっちのものなので・・・。

私も、知られざる城にかける思いはらんまるさんと同じです。
あまりネットでも知られていない城に対面できるのは、
感激ですね。
by アテンザ23Z (2011-06-08 22:37) 

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