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彦部家屋敷(群馬県桐生市) [古城めぐり(群馬)]

DSCN9822.JPG←搦手の枡形虎口
 彦部家屋敷は、足利氏の譜代家臣高氏の庶流彦部氏の屋敷である。高氏は高階氏の出自で、古くは平安時代から源氏との関係を有し、鎌倉時代には代々足利氏の執事となって家政全般を取り仕切っていた。高氏で最も有名なのは足利尊氏の執事であった高師直で、その事績は師直塚の項に記載する。彦部氏の初代は光朝で、鎌倉時代に足利氏の一族斯波氏に仕えて陸奥国斯波郡彦部郷に入部し、彦部氏を称した。その後彦部氏は、南北朝の動乱の中で足利一門に従う高一族の一として活躍し、太平記にもしばしばその名が現れている。その後、多くの足利一門と同様、彦部氏も京都の室町将軍に仕える系統と、鎌倉府に仕える系統に分かれたらしく、彦部家屋敷の彦部氏は室町将軍に仕えた系統であったらしい。戦国後期の1560年、関白近衛前嗣が上杉謙信の招請に応じて関東に下向した際、彦部信勝は前嗣に供奉して桐生城を来訪した。前嗣はその後、越後を経由して京都に帰還したが、信勝は一族を頼って桐生広沢郷に留まり、金山城主由良成繁の庇護を受けて、1562年にこの屋敷を築いたと言われる。背後の山上には手臼山砦が築かれた。信勝は将軍家側近の格式であったことから、由良氏とは政治的に一線を画しており、豊臣秀吉の命で由良氏が常陸牛久城に移封となった後も、所領を安堵されてこの地に留まった。以後、この地で帰農し、現在に至るまでその系譜は連綿と続いている。

 彦部家屋敷は、現在は国の重要文化財「彦部家住宅」の敷地となっている。南西側以外の三方に土塁を廻らし、北西側には堀跡も明瞭に残っている。北東には櫓台を築き、その西脇に搦手の枡形虎口が残っている。屋敷地内には、主屋の他に長屋門・冬住み・文庫倉・穀倉が残っている。近代には桐生の織物業界で指導的立場だったとのことで、織物工場や寄宿舎も残っている。寄宿舎は重文の指定外のため、保存に頭を痛めているとのことである。また敷地奥の八幡神社は、源義国が石清水八幡宮(源氏の氏神)から勧進したと伝えられている。彦部家屋敷は、戦国時代の武家屋敷の面影を色濃く残す、貴重な史跡である。
北東側の櫓台と土塁→DSCN9873.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.373543/139.348258/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:居館
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