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東掛城(京都府亀岡市) [古城めぐり(京都)]

IMG_0098.JPG←2本土橋の架かる堀切
 東掛城は、長谷山城主赤沢加賀守義政の城であったと言われている。赤沢氏は、三好長慶の丹波入りを助けたと言われている。その後、石田氏がこの城に拠ったと言う。1577年、丹波攻略中の明智光秀が波多野氏の八上城を攻めた際、波多野方に加担していた播磨三木城の別所長治に備えるため、石田紀伊守長保を用い、石田氏は別所勢と戦ってこれを撃退するなど活躍したと言う。

 東掛城は、標高432m、比高182mの山上に築かれている。南麓に素戔鳴神社があり、その裏から尾根筋を登った。主郭に白玉竜王が祀られており、そこまでの登り道があったらしく、南尾根には踏み跡があるので、迷うこと無く城に到達できる。以下、遺構の符号は『図解 近畿の城郭Ⅲ』に従って記載する。比較的小規模な山城で、山頂にほぼ長円形の主郭があり、その周囲を腰曲輪が一周している。主郭と腰曲輪のそれぞれ東側だけ低土塁があり、その東に堀切Cが穿たれている。ここには両側に土橋が2本架かっている。その先に小郭があり、幅広の土橋が架かった小掘切で城域が終わる。一方、主郭の北西には、腰曲輪の下に二ノ郭があり、その下にも腰曲輪があって、その先に堀切Aが穿たれている。主郭下の腰曲輪からこの堀切までは、城内通路が良く残っている。堀切Aにも2本土橋が架かっている。その先に削平の甘い三ノ郭があり、先端を堀切Bで分断して城域が終わっている。大した城ではないが、堀切に架かった二ヶ所の2本土橋が特徴的である。尚、『図解 近畿の城郭Ⅲ』ではこれらを土橋ではなく「堀内障壁」としているが、変則的な土橋であろうと私は考えている。
主郭虎口と腰曲輪→IMG_0049.JPG

お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.944761/135.544209/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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