東平井砦(群馬県藤岡市) [古城めぐり(群馬)]
←南西部に残る土塁
東平井砦は、関東管領山内上杉氏(上野守護も兼帯)の本城平井城の外堡と言われている。詳細な歴史は不明であるが、平井城の東方を防衛する出城として機能したのだろう。もしかしたら河越夜戦の後、迫り来る北条勢に備えて急遽築造したものかもしれない。しかし全く逆の見方もでき、河越城に対する大堀山城の様に、平井城を攻撃した小田原北条氏によって築かれた付城だった可能性も考えられるだろう。
東平井砦は、平地に築かれた方形単郭の砦であったらしい。現在は砦の東部分を県道175号線が貫通し、また砦内は水田となっているので、遺構はかなり湮滅している。しかし県道の西側に砦南西角部の土塁がL字形で残っている。また砦北辺の堀も、一段低い水田となってその痕跡を留めている。とりあえず少数の兵を籠めておくだけの臨時的要素の強い小城砦で、標柱も解説板もないが、土塁と堀跡の一部が残存しているのは奇跡的である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.220959/139.038205/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
東平井砦は、関東管領山内上杉氏(上野守護も兼帯)の本城平井城の外堡と言われている。詳細な歴史は不明であるが、平井城の東方を防衛する出城として機能したのだろう。もしかしたら河越夜戦の後、迫り来る北条勢に備えて急遽築造したものかもしれない。しかし全く逆の見方もでき、河越城に対する大堀山城の様に、平井城を攻撃した小田原北条氏によって築かれた付城だった可能性も考えられるだろう。
東平井砦は、平地に築かれた方形単郭の砦であったらしい。現在は砦の東部分を県道175号線が貫通し、また砦内は水田となっているので、遺構はかなり湮滅している。しかし県道の西側に砦南西角部の土塁がL字形で残っている。また砦北辺の堀も、一段低い水田となってその痕跡を留めている。とりあえず少数の兵を籠めておくだけの臨時的要素の強い小城砦で、標柱も解説板もないが、土塁と堀跡の一部が残存しているのは奇跡的である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.220959/139.038205/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:陣城