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堅田城(石川県金沢市) [古城めぐり(石川)]

IMG_5425.JPG←北西斜面の畝状竪堀
 堅田城は、歴史不詳の城である。木曽義仲の砦との伝承があるが、元より当てにはならない。発掘調査の結果では、山麓居館らしい堅田B遺跡は鎌倉時代のものと推測され、堅田城はその縄張りから戦国後期の姿を留めるとされる。加賀一向一揆が築いたとの説もあるが、この城には畝状竪堀が構築されており、加賀の城で畝状竪堀というのは極めて特異であり類例もない。一方で能登にある畝状竪堀の城は越後上杉氏勢力による改修とされていることから、堅田城も何らかの形で上杉氏勢力が介在した城ではないかと個人的に推測している。

 堅田城は、標高113.1m、比高100m程の山上に築かれている。南麓に小原越、西に北陸道が通る交通の要地にある。現在、市の史跡に指定されており、主要部は公園化され、遊歩道も整備されているので訪城はたやすい。山頂に不定形で横長の主郭を置き、その西から南に向かって張り出した舌状部に二ノ郭・三ノ郭を築いている。主郭西端には櫓台があり、ニノ郭を見下ろしている。主郭内部は北側に大きくえぐれた低地部分があるなど、起伏がある。ニノ郭は上下2段の平場に分かれている。また主郭の東には東郭があり、南には南郭が築かれている。これが城の中心部で、この中の曲輪はいずれも段差だけで区切られている。この中心部を取り巻くように腰曲輪と武者走りが外周を廻り、西・南・南東・北に派生する尾根に堀切を穿ち、西尾根以外ではそれぞれ尾根上の曲輪の先に更に堀切を穿って分断している。南東の外側の堀切のみ、中央に土橋が架かっている。主郭背後に当たる北側だけは、鋭い大堀切となっている。3つの尾根の内側の堀切は、前述の腰曲輪や武者走りに通じており、城内通路としても機能していたことがわかる。この城で出色なのは、前述の通り畝状竪堀が穿たれていることで、北西斜面と北斜面に大型の畝状竪堀が刻まれている。この他、南西の尾根を登ったところには虎口が築かれ、両翼にそびえる平場から攻撃を受けるようになっている。遺構は以上の通りで、遺構は完存し、薮払いもされ、しかもほぼ全ての遺構が見て回れる遊歩道が整備されていて、素晴らしい。
主郭の櫓台→IMG_5383.JPG
IMG_5447.JPG←主郭背後の大堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.612496/136.706636/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦国の北陸動乱と城郭 (図説 日本の城郭シリーズ 5)

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タグ:中世山城
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