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鳥越弘願寺(石川県津幡町) [古城めぐり(石川)]

IMG_5537.JPG←北西角部の土塁
 鳥越弘願寺は、一向一揆が築いた寺院である。寺とは言うものの、一向宗の総本山であった石山本願寺(後の大坂城)がそうであった様に、鳥越弘願寺も実質的に「鳥越弘願寺城」と呼んで差し支えない規模の城郭寺院である。1350年に本願寺3世の法主覚如の弟子玄頓によって創建されたと言われる。北加賀における一向宗の最初の拠点と考えられており、1488年の加賀一向一揆の頃には城塞化されていたらしい。その後、1580年に織田勢が加賀に大軍で侵攻した際、織田信長の部将佐久間盛政は能登末森城攻略に向かう途上、弘願寺を陣営にしようとしたが断られた為、弘願寺を焼き払ったと伝えられている。江戸初期の1609年、弘願寺は津幡町加賀爪に移転したと言う。

 鳥越弘願寺は、前述の通り「鳥越弘願寺城」と言うべきもので、大国主神社の周囲に高さ5m以上もある大土塁が残っている。神社のある平場は御屋敷跡と言われ、大土塁は神社の北・西・南にコの字状に残っている。特に北側の土塁は一段高くなっており、また土塁の上部は平坦になっていて、塀や櫓などの構造物が建っていたと推測される。また神社の南東にも、東西60m以上の長さの大土塁が残っている。現在の形状から推察すると、往時は寺の四周を大土塁で囲んでいたのだろう。尚、南の土塁上には、町の天然記念物の巨木が2本あり、小さな墓地もある。鳥越弘願寺は、遺構としては土塁だけで、しかもそのほとんどが薮に埋もれてしまっている。不覚にもコンタクトレンズをまた無くしてしまい、私には因縁の城ともなってしまった。
南西角の土塁→IMG_5517.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.689293/136.776030/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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