SSブログ

龍ヶ峰城(石川県津幡町) [古城めぐり(石川)]

IMG_5559.JPG←三ノ郭から見た主郭
 龍ヶ峰城は、加越国境城砦群の一である。北陸道を扼する要衝に位置しており、最初は加賀一向一揆が築いたと考えられている。1573年の上杉謙信の越中侵攻の際には、一向一揆に加担する土豪村上右衛門が在城していたが、上杉勢に攻略された。その後、織田信長の勢力が北陸に伸びると、越中を与えられた佐々成政の属城となった。本能寺の変での織田信長滅亡後、その後継を巡って1584年3月、羽柴秀吉と織田信雄(信長の次男)・徳川家康連合軍が尾張の小牧・長久手で対峙した。前年の賤ヶ岳合戦の後、一旦は秀吉に降って越中に留まった富山城主佐々成政は、これを機に秀吉から離反し、秀吉方の金沢城主前田利家と敵対し、両者の間に軍事的緊張が高まった。加越国境城砦群は、この時に使用された城である。成政は、龍ヶ峰城に佐々平左衛門を配置して前田勢に備えた。1585年、利家の弟前田秀継・利英父子の攻撃を受け、数度の戦いの後、前田勢によって攻略された。

 龍ヶ峰城は、標高194.5mの城ヶ峰に築かれている。城のすぐ直下には旧北陸道が通っており、城の役割がよく分かる。現在城跡は公園化されており、堅田城と同様に、ここもほぼ全ての遺構が見て回れる様に遊歩道が整備されている。山頂に狭小で細長い主郭を置き、その南斜面に三ノ郭などの腰曲輪群を段々に築いている。また主郭から北に細尾根(実質的な土橋)で繋がった小さな二ノ郭を配置し、二ノ郭の北東と北西に小郭を配置し、北尾根に2つの堀切と小郭群、北西尾根にも堀切と物見台を築いている。主郭・二ノ郭の東斜面にも腰曲輪群を配置し、眼下の北陸道を監視している。以上が遺構の全容で、大きな城ではなく、大した兵数も籠められそうにない。少数の兵で街道を押さえる任務を負った城だったのだろう。
北尾根の曲輪群→IMG_5585.JPG
IMG_5618.JPG←旧北陸道から見た龍ヶ峰城

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.662360/136.796908/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


加賀中世城郭図面集

加賀中世城郭図面集

  • 作者: 佐伯 哲也
  • 出版社/メーカー: 桂書房
  • 発売日: 2017/05
  • メディア: 大型本


nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー