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岩波楯(山形県山形市) [古城めぐり(山形)]

DSCN5605.JPG←主郭
(2020年11月訪城)
 岩波楯は、山形城主最上氏の支城である。詳細不明であるが、会田主計が3千石を領していたと言う。笹谷街道から分岐して妙見寺、八森を通って山形城下へ至る間道の出口に位置し、この間道を押さえるために築かれたと推測されている。

 岩波楯は、石行寺の西に張り出した比高70m程の小山の上に築かれている。石行寺裏の墓地から登路が付いている。城域東端の曲輪は、墓地に改変されている。登った先にある頂部の曲輪は東西に長く、西側では数段の平場に分かれて徐々に高くなり、一番上に物見台の様な高台がある。ここでは、西の高まりを主郭とし、東の平場を二ノ郭としておく。主郭・二ノ郭いずれも外周に数段の帯曲輪群を廻らしている。主郭から北西に張り出した尾根には小郭群があり、小堀切が2本穿たれている。また南に張り出した尾根にも南北に長い三ノ郭があり、二ノ郭南側の腰曲輪から繋がっている。以上が岩波楯の遺構で、あまり居住性のない小規模な城砦であり、山形城の南方と前述の間道を監視する物見的な役割の城だったと思われる。尚、城内はある程度薮払いされているものの笹薮がやや多いのが難。
二ノ郭の腰曲輪群→DSCN5572.JPG
DSCN5595.JPG←北尾根の小掘切
南に張り出した三ノ郭→DSCN5627.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.220465/140.353142/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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