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大口楯(宮城県大崎市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN5165.JPG←主郭背後の二重堀切の内堀
(2020年10月訪城)
 大口楯(大口館)は、大西楯(大西館)とも言い、歴史不詳の城である。『鳴子町史』では、南北朝時代に葉山城に居た奥州総大将石塔義房の家臣馬場豊後の居城との伝承を伝えているが、葉山城の項で記載した通り、石塔義房が葉山城を拠点にした伝承自体が疑わしく、従ってその家臣の城という伝承もどこまで信憑性があるのか、疑問符がつく。

 大口楯は、江合川の南岸に尾ヶ岳の北東麓が突き出た比高80m程の丘陵上に築かれている。手のひらの様な主郭から東に向かって、3本指の様な細尾根が突き出た地形となっている。この3本尾根の内、一番南のものが大手らしく、細尾根上を辿る踏み跡がある。尾根の付け根には物見台状の土壇がある。その先は主郭だが、主郭内は薮が多くて形状を掴むのが困難である。ただ、主郭の南辺には土塁が続いている様である。一方、3本尾根の真ん中は舌状曲輪の先に細尾根があり、その先端は断崖で途絶している。3本尾根の北尾根は確認していない。主郭に戻って奥まで行くと、主郭背後に二重堀切が穿たれており、台地基部と分断しているが、堀切はそれほど大きなものではない。二重堀切の後ろ(西側)には広大な平場が広がっている。ほとんど自然地形に近いが、内部に2つの横堀状遺構が見られる。ただ、堀と言うほどの規模はなく、防御構造として考えるのは疑問が残る。近世の猪垣か何かかもしれない。耕作地であった痕跡もあるので、耕作時の改変の可能性もある。この自然地形の一番奥には、高台があり、物見台か何かの様にも見える。また平場外周の一部には土塁も確認できる。平場の背後は自然の谷を利用した堀切状地形となっていて、遺構の様にも見えるが確信が持てない。この主郭の西に広がる平場については、『日本城郭大系』も「大口館との関係の有無もわからない」としている。いずれにしても、大口楯は技巧的な縄張りは見られず、戦国期以前の古い時代の縄張りをそのまま残している様である。
 尚、大口楯へ登るには、東麓の民家裏の空き地から山林内に分け入り、南の尾根に取り付けば良い。
主郭西側の平場にある堀状地形→DSCN5232.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.733297/140.744294/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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タグ:中世山城
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