相良館(静岡県牧之原市) [古城めぐり(静岡)]
←標柱が立つ館跡
相良館は、この地を本貫地とした相良氏の居館である。相良氏は、藤原為憲の流れを汲む遠江守維兼を祖とする一族で、1112年に工藤周頼が相良庄に入部し、相良氏を称した。以後、8代長頼までの80余年間の本拠となった。1198年に長頼は幕府より九州下向を命じられ、肥後国球磨郡人吉荘を領して、人吉城を居城とし、鎮西の御家人となった。その後、相良氏は九州の戦国大名となり、しぶとく生き延びて江戸時代にも肥後人吉藩2万2千百石の大名として幕末まで存続した。即ち相良館は、近世大名相良家の発祥の地である。
相良館は、荻間川東岸の平地に築かれていたらしい。現在は民家近くのただの空き地で、明確な遺構は残っていない。館跡を示す標柱が、その歴史を伝えているだけである。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.690101/138.199317/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
相良館は、この地を本貫地とした相良氏の居館である。相良氏は、藤原為憲の流れを汲む遠江守維兼を祖とする一族で、1112年に工藤周頼が相良庄に入部し、相良氏を称した。以後、8代長頼までの80余年間の本拠となった。1198年に長頼は幕府より九州下向を命じられ、肥後国球磨郡人吉荘を領して、人吉城を居城とし、鎮西の御家人となった。その後、相良氏は九州の戦国大名となり、しぶとく生き延びて江戸時代にも肥後人吉藩2万2千百石の大名として幕末まで存続した。即ち相良館は、近世大名相良家の発祥の地である。
相良館は、荻間川東岸の平地に築かれていたらしい。現在は民家近くのただの空き地で、明確な遺構は残っていない。館跡を示す標柱が、その歴史を伝えているだけである。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.690101/138.199317/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:居館