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南真志野城(長野県諏訪市) [古城めぐり(長野)]

DSCN1584.JPG←3段から成る主郭
 南真志野城は、歴史不詳の城である。城主は矢嶋氏であったらしい。1542年の『守矢頼真書留』に、「桑(原より真志)野城へ矢嶋殿同心にて下宮をまはり・・・」とあるのが南真志野城のこととされるが、( )の部分は原文では欠落しているので、断定し難いとされる。1548年、上田原の戦いで武田信玄が葛尾城主村上義清に敗北すると、諏訪郡の西方衆は武田氏に叛乱を起こしたが、矢嶋氏もこれに加わり、鎮圧後に追放された。

 南真志野城は、諏訪盆地南方の丘陵地の一角、標高1030mの山上に築かれている。山中に未舗装の林道が通っており、それを使って北東尾根の中腹まで車で登り、そこから北東尾根を登っていけば城の中心部に至る。この尾根上には何段もの腰曲輪群が築かれているが少々笹薮が多くてわかりにくい部分もある。山上には明確な切岸で区画された曲輪群がそびえている。主郭は内部が3段に分かれ、北と南に低土塁を築いている。主郭の最上段は櫓台状で、後部に土塁を築いている。主郭背後は堀切が穿たれている。主郭の南には3段の腰曲輪、北から北東にかけては2段の腰曲輪が築かれている。特に北側上段の腰曲輪は幅が広くなっている。主郭の南西にも3段の腰曲輪が築かれ、主郭背後の堀切と繋がっている。堀切西側の背後の尾根には、尾根上に平場があり、南斜面に腰曲輪が2段築かれている。この他、腰曲輪などに数カ所石積みが見られるが、往時の遺構かどうかは判断し難い。南真志野城は遺構がよく残っているが、あまり技巧的な部分は見られず、素朴な形態の城である。
主郭背後の堀切→DSCN1620.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.005915/138.090119/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


中世城郭の縄張と空間: 土の城が語るもの (城を極める)

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  • 作者: 松岡 進
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2015/02/27
  • メディア: 単行本


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