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義信城(長野県伊那市) [古城めぐり(長野)]

DSCN2011.JPG←前面の放射状竪堀の一つ
 義信城は、歴史不詳の城である。城名の由来も不明であるが、義信というのは人名であるらしい。高遠氏の出自に木曽氏説があり、それによれば2代目が高遠太郎義信と言うので、高遠義信に関連した城との説もある。

 義信城は、標高1200m、比高200mの山稜上に築かれている。私は鳩吹城から西に山道を辿り(1/25000地形図に描かれている点線の山道)、途中から南東に逸れて降っていき、城の背後の尾根から訪城した。幅の狭い細尾根を降っていくと、竪堀や二重堀切が現れ、ここからが城域となる。二重堀切の先も細尾根だが、西側下方に腰曲輪が築かれている。この腰曲輪は薮で覆われているが、西辺に土塁が築かれ、幅広の横堀のような形となっている。細尾根の先には大堀切が穿たれ、その上に主郭がそびえている。この大堀切は鋭く、南西に竪堀となって落ちている。またこの竪堀の脇にも竪堀が落ち、二重竪堀となっている。主郭は背後に土塁を築いた曲輪で、前面には段差だけで区画された二ノ郭を伴っている。二ノ郭は細長い曲輪で、郭内が尾根に沿って緩く傾斜している。二ノ郭の南西から南東にかけて帯曲輪が築かれているが、ここに放射状竪堀が穿たれている。主郭までは薮が多いのだが、二ノ郭と放射状竪堀にはなぜか薮がなく、お陰でものすごく形がわかりやすい。この前面の放射状竪堀は密度が高いため、畝状竪堀のように見える。また竪堀の規模が大きく、形状がはっきりと分かる。
 以上が義信城の本体であるが、背後の尾根の先に広い窪地がある。井戸らしい跡や倉などが置かれたらしい平場が確認できる。後世の耕地化によるものとも考えられるが、もしこれも城郭遺構だとすると義信城の後方にあって、城兵の駐屯や軍需物資を貯蔵していた施設があった可能性も考えられる。またこの窪地の南西に突き出た尾根には、義信城上の城〔仮称〕がある。

 義信城は小さい城でありながら、竪堀・堀切など各パーツが充実しており、見応えがある。その遺構には大名系城郭にも通じるものがあり、武田氏勢力の介在の可能性もある。それにしては少し奥まった場所に築かれているなど、謎も多い。
背後の尾根の二重堀切→DSCN1976.JPG
DSCN2023.JPG←大堀切と主郭切岸
大堀切脇の二重竪堀→DSCN2024.JPG
DSCN2021.JPG←前面の放射状竪堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.836803/137.879051/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


信濃の山城と館〈第5巻〉上伊那編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

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  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2013/06/01
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
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