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保谷沢城(長野県伊那市) [古城めぐり(長野)]

DSCN2443.JPG←5郭堀切と主郭切岸
 保谷沢城は、歴史不詳の城である。城下の田原集落は、元々殿島の分村であったことから、殿島氏が南方に備えて築いた支城ではないかとの説がある。また周囲の城との位置関係から、伊那谷の急を知らせる狼煙台であったとの説もある。

 保谷沢城は、天竜川東方の比高60m程の段丘先端部に築かれている。南西麓から鉄塔保守道(春近高遠線No.3鉄塔)があり、それを使って登ることができる。土塁囲みの五角形の主郭と、南の尾根上に2郭・3郭・4郭を堀切を介して連ね、東には5郭を配置している。鉄塔保守道を登っていくと細尾根上に至り、尾根上を歩いていくと鉄塔の立つ4郭に至る。鉄塔背後に土塁と小堀切があり、その北に3郭がある。3郭は先端に土塁が築かれ、後部に墓地がある。3郭の北には幅広の堀切が穿たれ、その北が2郭となる。2郭は幅が狭いが、後部に方形の土壇を築き、その裏に主郭との間を区画する堀切が穿たれている。2郭からは主郭西側の腰曲輪に道が繋がっている。腰曲輪から主郭に登る道がついているが、これは後世の改変であるらしい。主郭の大手虎口は、現状ではあまりはっきりしないが南にあったとされており、そうなると2郭後部の方形の土壇は、主郭虎口に繋がる橋台であったかもしれない。主郭は現在空き地となっていて、解説板が立っている。主郭の東には城内最大の堀切が穿たれ、その先が5郭である。5郭は舌状の曲輪で、先端も小堀切で分断されている。主郭・5郭の北には畑が広がっているが、ここに外郭があった可能性があり、東西の斜面に堀型が残っている。保谷沢城は、鉄塔が建てられたりして改変を受けているものの、全体としては遺構がよく残っている。
2郭堀切と3郭→DSCN2394.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.784534/137.967103/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


長野県の歴史 (県史)

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  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2011/01/01
  • メディア: 単行本


タグ:中世崖端城
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